「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGです。かなり不定期な更新間隔。

あの頃の日産が良かった理由~1988年



 1987年11月。日産社内ではちょっとした議論が巻き起こっていた。翌年に発売する新型3ナンバー高級乗用車”シーマ”の値決めに際して、従来の企画書通り480万円台でいくのか、それとも500万円の大台を超えた価格とするのかについて、Y31担当主管の三坂泰彦以下開発メンバーは頭を抱えていた。


 ソアラは480万円台の設定でバンバン売れている。そこにぶつける価格にしておけばある意味安泰、という意見。


 いやいや、シーマはソアラより格が上(ソアラは5ナンバーサイズと同じ)なのだから、思い切って500万円を越してもそれがステイタスになる、という意見。


 結論は社内では出ず、結局その年の東京モーターショウで来場客に聞き取りを行なって反応を見ようということになった。すると、参考出品車のシーマを見た客たちの多くは500万円に納得できるという反応を示したという。


 500万円推進派であった三坂主管の読みはここでも冴え渡っていた。



http://www.favcars.com/pictures-nissan-gloria-cima-fpay31-1988-91-211273



 このクルマにはステイタスがある。三坂主管にはその自信と確信があった。そしてそれは結果として多くの顧客にとっても同じことだった。のちに顧客の声を拾い上げてみると「高価いから購入した」という声が多く聞かれたのだという。


 シーマ成功の要因は、価格にふさわしいステイタスを与え、顧客が共感しそのステイタスを身に付けることの喜びを提供した、というところに尽きる。ソアラと同程度の値段にすればリスクは少なく、最低限ソアラ程度のステイタスは確保できる。しかしソアラを上回るところに目標を据え、価格も相応に設定したことが、世の中の高級、上級志向を高感度に捕らえることにつながった。


 機は熟していた。日産という名のマグマが鬱積していた火山は、いよいよ大爆発の時を迎えたのだ。多くのクラウン、ソアラユーザーがシーマを買い求めてディーラーに殺到した。トヨタユーザーだけではない。メルセデスやBMWを下取りにシーマを購入していく外車びいきのユーザーさえも巻き込んでシーマの快進撃は続いた。


 勢いづいた日産車のヒットはつづく。


 5月の爽やかな風が頬を撫でる頃、美しいうぐいす色をまとった5代目、S13型シルビアが登場。ライバルたちの多くがFFレイアウトを採用し、合理化を進める中、シルビアはコンベンショナルなフロントエンジン・リアドライブを採用。新開発のマルチリンク式リアサスペンションやハイキャスⅡなどを用い、快適性と俊敏で楽しい走りを高次元で両立する若者のためのスペシャルティカーとして人気を博した。


 もうおなじみとなった、ハズレのない日産の美しい造形、デザイン、高度に洗練されたハンドルを握ることが楽しくなる走り・・・この頃になると日産という自動車会社がノリにノッているという世間的な風潮も浸透し、日産に乗ることが「トレンディ」という認識も高まった。その証拠に、このシルビアというクルマ、若者のみならず、家族のある中年がファミリーカーとして購入するというケースも少なからずあり、当時中学二年だった僕の友人宅にもベルベットブルーのK'sが一台納車されたコトを覚えている。下取りはカローラだった。シルビアは当然狭かったが彼らはとても満足してシルビアを愛用していた。



http://www.favcars.com/nissan-silvia-qs-s13-1988-93-photos-213492



 ”シーマ現象”とよく言われるが、それはシーマに限ったコトではなく、日産車全体、もしくは日本社会全体を巻き込んだ”日産現象”といっても過言ではなかった。自信を喪失してどんなクルマを創ればいいのかと途方にくれていた数年前の日産がウソのように、阿吽の呼吸でユーザーのハートを捉え、時に期待を上回る喜びさえも与えながら新しい製品を世に送り出していく。


 しかもそこには日産らしい確かな技術的バックボーンも伴っていて、見せかけだけの新しさではない、ホンモノを感じさせる製品がズラリと並んでいた。じつにもって壮観・・・その爽快感にこそ、当時の多くの日本人は強く反応し、好感を抱いたのではないだろうか。


 さてこの年、夏頃から頻繁になにやら怪しげなコマーシャルが流れ始めた。新しいセダンの登場を予告するディザー広告。こうした挑戦的なやり方でユーザーの期待を煽り注目を集めるという手法も、当時の日産が行なった新鮮なやりかたのひとつでもあった。



http://www.favcars.com/nissan-cefiro-a31-1988-94-wallpapers-208473



 井上陽水の「みなさんおげんきですか」はちょっと悪ノリという気がしなくはなかったが、そのユニークさもセフィーロというクルマのキャラクターの一部になっていたと思う。それまでは技術主体のスカイライン、豪華絢爛なローレルという二つの柱で2リッターFRのこのクラスを構成していた日産。そこへ、まったく新しい価値観を持つセフィーロ。こうした異質のモノ、あるいは従来の価値観にドップリという人にとっては異物感さえ与えかねないリスクのある提案だったが、このクルマもまたユーザーに歓迎され受け入れられていく。


 狙っていたのは30歳代前半。しかし従来のミドルクラスカーの保守的な佇まいに不満を抱いている層が確実に居ることを日産は認識していた。セフィーロの開発ヒストリーを読み返してみると面白いのは、カラーや内装の布地のデザインなどの写真イメージ資料に、当時売り出し中のモデル、風間トオルの写真が一枚ならず貼り付けられていたということ。まさに「高感度」で「都会的」、あるいは「トレンディ」といったフレーズがどんどん出てきそうなイメージでまとめようと考えられていたことがわかる。


 同時期にデビューした80系マークⅡ三兄弟を、一気に古めかしく見せるに充分なパンチを持った、セフィーロの一撃だった。もうトヨタの後追いをして自ら失敗を繰り返した日産ではない。堂々とオリジナルのコンセプトを打ち出し、充分な説得力をもって新しい価値観を顧客に提案できる。これもまたじつに晴れ晴れとした気持ちにさせてくれる、日産自動車の見事な「仕事ぶり」だった。




 数々のブレークスルーやチャレンジ、努力の日々はこうして実を結んでいく。ましてや売上の実数だけではなく、「今の日産ならやってくれる」、「次は何が出てくるのだろう」といった顧客からの期待と信頼も高まり、それに呼応するように日産はさらなる「高感度」なクルマ創りに邁進していくコトになる。


 「いいクルマとは何なんだろう」・・・日産は考えあぐねていたが、この頃すでに答えを見出していたのではないだろうか。技術的レベルが高いとか、室内が広い、速い、馬力がある・・・「いいクルマ」の理由は数多「点在」したが、しかし、大切なのは、そこに顧客の心を動かす新鮮な提案があるかどうかであり、自動車会社はそのためにチャレンジ続けるスタンスを崩さないこと・・・即ちそれらを以て「いいクルマ」と定義づけることに、この頃の日産車を見ていると何ら違和感もないことに気がつく。





つづく。





2016.10.4
前田恵祐

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