「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

あの頃の日産が良かった理由~当事者に聞く(2)【中編】



この記事はY31セドリック・グロリア、シーマの商品主管、三坂泰彦さんへのインタビューを三部構成でまとめた記事のうちの【中編】です。

前編中編後編


”シーマ”へのニーズはずっと前から認識していた

前田 ところで、シーマというクルマは、最初はセドリックの幅広車として、クレイモデル作成から始められたわけですよね。

三坂さん セドリックの「幅広」というのは、言ってみれば当て馬みたいなものでね、私が以前市場調査をしていた10年以上前から、バンパーを大きくしただけの3ナンバー車ではお客様が満足されていないという調査結果が、もうはっきりと出ていたんです。でも日産だけでなく、他メーカーも3ナンバー専用ボディというものを出さない。どうしてだろうと思ったのですが、結局販売が見込める台数から計算すると、ペイしないんですね。当時からベンツやBMWというのが高級輸入車としてありましたけれども、そのあたりのマーケットに切り込んでいくことになると、多くても年間3万台くらいしか見込めない。そうするとコストから逆算して車両価格の設定が500万円でも作れないんですね。でも実際には3万台もの台数を見込むのは難しいからさらに償却は難しくなる。となると価格は700万円というような数字にせざるを得なくなるんですね。コストが全く合わないわけです。要望はあってもなかなか実現には至らなかったという経緯がありました。

前田 では、シーマを作ることにしましょう、という決め手になったのは何だったのでしょうか。

三坂さん ずっとコスト計算をしたりして提案は続けていたのですが、結局は消費税導入(平成元年4月)ですね。もちろんシーマの企画段階ではまだ詳細が決っていませんでしたが、消費税導入と同時に物品税が撤廃になりそうだ、という話があった。3ナンバー車の場合、当時は卸値の25パーセントが物品税で持って行かれていましたからね、これが外れるというのは大きなチャンスになると考えていました。

前田 そんなところに、世の中の上級志向というものもうまく噛み合ったわけですね。

三坂さん 上に行こうとしてもなかったわけですから、そういうニーズに対する回答は必要でしたよね。

前田 若林さんが、ユーザーインタビューの時に歯医者さんからそのような話を聞いていてそれを覚えていらっしゃると言っておられました。「セドリックもいいけれど、その上がないんだよね」というお話しを聞いたと、話してくださいました。

三坂さん そうした声が大半だったと思いますよ。

前田 高くなってもいいから、むしろ高くていいから、もっと上のものを、という気持ちですよね。

三坂さん シーマを売り出してから調査したシーマの購入動機というのはどういうものかというと、もちろん本格的3ナンバー車だからというのがトップなんですが、二番目には500万円を超えた価格、というのが出てきたんです。プレジデントやセンチュリーという存在もあるけれど、個人所有向けのクルマとしては一番高いから、というのが動機になっているわけですね。

前田 値段を決める段階で、470万円台で行きましょうという社内の声に対して、三坂さんは500万を超えても行ける、とおっしゃったそうですね。

三坂さん このクルマの最初の企画書では470~480万円という計画だったんです。でも、馬力があることや初めての本格3ナンバー専用車であることなど、商品価値を計算すると約530万円くらいの価格に、机上の計算ではなるんですよ。だから「いや、500万だ」と断言したんです。

前田 例えば480万円台だとソアラと同じくらいになりますよね。

三坂さん ハイグレードだということを知らしめるには、やっぱり「価格」なんですよね。

前田 説得力がありますよね。

三坂さん 不当に高い値段をつけているならともかく、相応の価値があると判断した上でのことですから、それ自体がセールスポイントになったと思います。

前田 しかしあの当時だからできましたよねえ・・・

三坂さん そういう時代だったんだよね。


 ニーズとして、本格3ナンバー車を求める声は認識していたが、コストの問題も立ちはだかり二の足を踏まざるを得ない状況だった。しかしそこへ税制改革への動きや、日産自動車自身の変革などが大きな波のように押し寄せて、Y31シーマというクルマに結実した、という経緯が見えてくる。ニーズ、税制改革、日産内部の変革、そして三坂さんや若林さんたちの高感度なクルマづくり、そのどれもが欠けてもシーマというクルマは生まれなかったのではないだろうか。これはもう、「役者が揃っていた」という他ない。それがやがて「シーマ現象」と呼ばれるほどの一大ムーブメントにまで膨れ上がっていった、当時の国民が熱狂したのも、ある意味当然と言える。


前田 シーマは今でも大事に乗っていらっしゃる方も多いんですよね。有名なところでは女優の伊藤かずえさんが平成二年に新車で買われたシーマを今でもお乗りになっているそうです。走行距離も25万キロを越えていらっしゃるとか。

三坂さん おー、それはすごいですね。やはり、クルマというのはどこかで「飽き」というものが来ると思うんですよね。でも、じつはY31を作るときに私はその点にも配慮したんです。馬力や走りはすごいかも知れない、だけど、いわゆる「新機構」とか「世界初」のようなものはほとんど載せていない。そういうもので目を引こうとはしなかったんです。熟成された技術で完成度の高いものを目指しました。技術屋さんには「新技術」がないと新車とは認められないような認識があったりしましたが、「完成された技術で新しいクルマをつくってね」と。「でもそれがどんなモノであるかは自分で考えてやってくださいね」と(笑)

前田 たしかにY31は、これだけ年数を経ても基本的に丈夫なクルマだという評価はあると思います。致命的な壊れ方をしないです。

三坂さん 売り出した当時も、初期不良や故障へのクレームのようなものはほとんどありませんでした。Y31での新技術といえばエアサスくらいです。


 たしかに、あの頃のクルマにしては「新技術」とか「世界初」といった言葉があまり聞こえてこないクルマではあった。エアサスにしてもそれまでに他社が採用している例は、既に複数あった。そういえば、最近消耗したエアサスを換えたと伊藤かずえさんのオフィシャルブログにアップされていたっけ。

 ちなみに「自分で考えてやってくださいね」は三坂さん特有の命令形である。営業出身の三坂さんは技術的には細かいことを言われてもわからない、でも、こういう機能や性能は必要だから「あとは任せた!」とエンジニアに投げてしまう。しかしこの手法でY31やシーマは魅力ある製品に仕上がった。むろんそこには、日産自動車の技術部門や実験部門の豊かなノウハウや技術力がフルに発揮された。エンジニアたちの思考能力は鍛えられ、また潜在能力、あるいは「知恵」を絞り出すのにうまく作用する三坂流の「手法」だったのだ。


じつは厳しかった「やりくり」

前田 ところで三坂さんはシーマをおやりになった後に、また別のポジションでお仕事をされるようになりましたよね。

三坂さん 1988年の1月1日付けで販売促進部長になりました。3年間開発の仕事をやって、また営業部門に戻ったということですね。

前田 販売促進部ではどういった業務をされていたのでしょうか。

三坂さん 商品全体を見渡して、例えば予算の管理なども重要な仕事でした。お金を握っているわけですね。これは強いわけで(笑)

前田 セドリック・グロリアだけではなく、全車種を見ていたということですね。

三坂さん そうです、商用車なども含めて。国内販売の体制を維持するためにどういうことをするか、というようなことです。

前田 Y31以降、とても「いい日産車」が続きましたよね。それは全て三坂さんが送りたしたということになるわけですか。

三坂さん その意味ではツイてると思いますよ。販売促進部には一年半、89年6月までいまして、その後また役員になって商品本部に戻ったわけですが、その頃になるともう資金も潤沢でね(笑)

前田 なるほど。

三坂さん 当時あった「901活動」には公式に予算がついていなかったんですよ。でもどうしたってお金は必要になるわけで、あるとき担当部長が銀座本社の私のところに若手を引き連れて乗り込んできましてね、「なんとかしろよ」と(笑)。でも私にはどうしようもなかったんですが、まあ、「なんとか」しましたよ(笑)。その結果かなり活動そのものも活発になったと思いますよ。

前田 そんな裏話があったのですね。901活動は成果としても大きかったですし、高く評価されましたよね。

三坂さん 今でも901活動のOB会に呼ばれますよ、当時のスポンサーとしてね(笑)

前田 でも、Y31やシーマを開発していた頃は経営的にも厳しいタイミングだったのではないですか。

三坂さん 1985年1月にセドリックの主管に着任して、その6月にY30のマイナーチェンジをやりました。それから二年後にY31が発売になるわけですが、シーマの計画が承認されたのはその間のことでした。「こういう車が求められている」とか「こういう車が必要だ」と言って歩いてもなかなか認めてもらえなかったし、当然シーマ開発のための予算もつかないわけです。だからセドリックの予算を「かすめて」クレイモデルを作った、なんていうこともありましたよ。ないものを一から作るというのは大変なんですよね。「我が社にはそんな車種はない」なんて言われたりして。


 三坂さんは直接活動に関わってはいなかったようだが、「901活動」の影のキーマンだった。世の中ではY31やシーマはバブル期のクルマということもあって、潤沢な資金によって開発された、かのように捉えられている面もあるが、じつはそんなことはなくて、開発時点ではまだ日産は本調子には程遠いどころか昭和61年の中間決算では赤字を計上している。そんな厳しいなかでの「やりくり」であの「傑作」が生まれたのだ、ということも特筆すべきポイントである。カネがあれば即ち良い物ができる、あるいは、カネが無ければ良い物はできない、という考え方を、この事実をして否定することができよう。


「なんとしてでももらってこい」

前田 ところで、三坂さんと同世代かさらに上の方ですと、「飛行機の業界に進みたかったけれど、飛行機が衰退してきて、それでクルマ業界に進んだ」という方も多いですよね。

三坂さん 特にプリンスに入社した人にはそういう経緯の人も多いですし、私の周りでは遠藤(庸生)さんなんかは東大工学部の航空学科で、やはり飛行機畑ですよね。

前田 遠藤さんといえば、エンジンに関するエピソードが、またとても面白いですよね。レパードのグループが開発していたターボエンジン、VG30DETをこちら(シーマ)に頂いてきてしまうという・・・

三坂さん 遠藤さんは当初、ノンターボのツインカムで十分、パワーはそれほど必要ない、という考え方だったと思います。でも、お客様はどのように「走りの良さ」を理解し、認識するのか、という点で、それでは不十分だと私は思ったわけです。工学的にはそれで十分なのかもしれないけれど、でも当時200馬力といったらザラにある。そうなるとセールス活動というものがやりにくいわけですね。「同じ200馬力だけどウチのは違いますよ」と営業マンが言ったところで、もう一つ説得力がない。そうしたややこしさ、難しさを一気に解決するのが高出力なんですよね。ターボ付き250馬力以上というのは「売るために絶対に必要だ」と言ったんです。そんなやり取りで彼も納得してくれたんでしょうね、「あそこにイイのがありますよ」って(笑)。レパードに載せるために開発していたのをもらってこよう、というのは、じつは彼が言い出したんですよ。これもそれまでの社内の常識では考えられないことでね、「キミすごいね(笑)」って、こちらは呆気にとられていましたけれど。でも機関設計部の佐々木健一部長が首を縦に振らなくてね。レパードがソアラに対抗するための新兵器をセドリック(シーマ)に載せるとはどういうことだ、と。私は私で遠藤さんに「なんとしてでももらってこい」とだけ言いました(笑)。

前田 「そこをなんとか頼むよ・・・でも、どうしてもウンと言わないなら園田さんの決済を仰ぐまでだな」と三坂さんは佐々木部長に詰め寄ったと聞きましたが(笑)

三坂さん どうにもならないようなら園田さんに話しに行こうとは思ってましたが、でも、レパードグループもOKしてくれたし、遠藤さんもこの一件で馬力表示の「意味」を理解したんじゃないかな。

前田 遠藤さんはその後もセドリック・グロリアを担当されていましたよね。

三坂さん セドリック・グロリア派生のレパードがありましたでしょう?、あれは遠藤さんが主管としてまとめたクルマですね。

前田 Y33型ですね。

三坂さん 彼も後日「三坂さんの手法を使うと、説得できますね」なんて言っていましたよ(笑)。全部任せちゃうんですよ。私の強みはね、営業畑だったから開発の細かいことはわからんと。でもこういう機能、性能は必要だ、だからあとは任せた、というふうにね。任されたらやらざるを得ないからね(笑)。

前田 でも、そのお言葉の後ろには「売るためには必要なんだ」というスタンスがはっきりとおありですよね。

三坂さん そうですね。でなければただただ、ダダをこねているだけになってしまうから。私はそれまで、お客様をいかに説得するか、納得させるか、というような仕事をずっとしていたけれど、その観点を軸にして、今度は設計開発部門を説得する、ということにも役立てることができた、とも言えますよね。

前田 なかなかそのように、営業的観点が設計開発に結びつくということが、それまではなかったのでしょうね。

三坂さん 縦割りでしたからね。それぞれの分野、領域で、それぞれにやっている。だから互いに言葉は通じなかったりする。でも垣根を越えてなんとか説明説得すれば、理解してくれる人も出てくる、ということですよね。


 このあたりは「三坂泰彦流クルマづくり」の、まさに真骨頂といったところだ。「レパードのエンジン横取り事件」(筆者が勝手に命名)などは今日の日産よりはるかに「やっちゃって」いるとは思わないか。255馬力ツインカムターボエンジンは良い走りのために必要としていたということはもちろん、顧客を納得させるための強力な「営業ツール」であるとも三坂さんは考えていた。その結果、優れたデザインとともに、大パワーとそれがもたらす豪快な走りによって、多くのユーザーはシーマというクルマに魅了されていく。

 顧客の方に顔を向けた観点、それを軸とした技術者たちとのコミュニケーションと人心掌握。三坂さんはお会いしてみるととてもソフトな印象の方で、決して威圧的だったり、権威的なところもなく、人生半分しか生きていないような筆者にも目線を合わせ、あるいは周波数を巧みに調節してコミュニケーションをしてくださる。一言に、話すのが楽しい、たいへん魅力的な方だ。しかし、そのニコニコとした優しい表情の奥に、ブレることのない「真意」というものもまた存在していることがわかる。

 そんな三坂さんから「キミ任せたよ、あとは自分で考えてネ」と、例の三坂さん特有の命令形でやられたら意固地な人間もすんなりと言うことを聞いてしまいそうな気がする。いわゆる「人徳」とはそういうものだ。Y31型セドリック・グロリア、シーマには、そんな三坂さんの人物像や魅力というものが色濃く反映されている。


品の無い走りへの、あの人からのクレーム?

前田 あの頃の日産車を見ていますとね、「欲しいものを出してくれている」とか「期待に応えてくれている」という感じがとてもするんですよね。

三坂さん そのように理解してもらえるというのは嬉しいですね。

前田 見ているだけで楽しい気持ちになるとか、乗ってみたいと思わせてくれる「マインド」が伝わってきました。特に僕らの世代ですとS13型シルビアというのがとても身近な存在で、購入する人がたくさんいました。

三坂さん あれはカーオブザイヤーを取りましたね。シーマは取らなかったけれど(笑)

前田 87年が三菱ギャランで、88年がシルビアでしたよね。シーマも出るタイミングがよければカーオブザイヤー有力候補ですよね。

三坂さん でも、シーマは当初月販1000台の計画が三倍近く売れましたからね。よく売れたのも嬉しかったですし、なんといっても儲かりましたね!(笑)

前田 日産自動車としては長年開発してきたインフィニティという存在もあって、シーマはインフィニティ発売までのリリーフのような立ち位置だったりもしていたと聞いています。

三坂さん インフィニティは日産自動車の技術の粋を集めた高級車で、ベンツやBMWに負けない商品として開発していたわけですが、やはり初めての分野でもありますし、開発には時間がかかっていました。それとアメリカ市場を中心に据えていましたから、初期の段階では「このクルマは日本人の感覚には合わないのではないか」という認識も社内では持たれていました。

前田 実際にも、インフィニティよりシーマの方に、市場は強く反応していたように見えますよね。

三坂さん シーマの方が日本的な感覚があると言うのも大きいでしょうね。若林君の説明ではシーマのボンネットやフロントフェンダーの丸みは「仏様の頬っぺたをイメージした」と言うんですよ。彼も目の付け所が違うな、と思いました。

前田 しかし後にも先にもこの初代シーマの類似系というものが出てこなかったですよね。

三坂さん そうなんですよ。私の悩み(笑)は二代目シーマがY31シーマを踏襲しなかったことですよね。日本人の感覚にマッチしたシーマ、ご支持をいただいていたものが、一代で終わってしまった。二代目は二代目で良さがあったのだと思いますがね。

前田 二代目は二代目で、「あれはあれでよかったんですけど・・・」って僕も思うし、みなさんそうおっしゃる方も多いです。

三坂さん 初代シーマはオーナードライバー向けに軽快なタッチで仕上げたクルマですが、今度は逆に「重厚さが足りない」とか「品格がない」というような声も聞こえてくる。

前田 実際にそういう意見があったのですか。

三坂さん 徳大寺(有恒)さんなんか私のところに来て「アータね、こんな走りの高級車はないよ、品が無い!」って(笑)。こっちとしては上品ばかりが高級車じゃない、というつもりだったから(笑)。それにお客様はそこがいいと言ってくれているわけですよね。でも、評論家としては良くない、というわけですね。そういった「ご意見」を取り入れていくと、「二代目シーマ」になっていくんだよね。静かに回るエンジン、お尻を下げないで加速できるサスペンション、上品な内外装の仕立て、というふうにね。ま、それはそれで高級車としてはいいのでしょうけれど、初代シーマのジャンルは消えちゃった。

前田 素直に引き継いではくれなかったんですね。

三坂さん こういってはなんですが、やはりジャーナリストの言うことを聞きすぎたのじゃないかな(笑)。

前田 作り手としては無視できないことなのでしょうか。

三坂さん ジャーナリストというのは足りない部分を指摘して改善を求めていく、というのが仕事ですよね。でも、作る側がそれをどう取り入れるか、なんですよね。

前田 いかに取捨選択していくか、ということですね。

三坂さん 初代シーマに対しては「走りが下品だ」「重厚感がない」というのがもっとも目立つ評価だったわけです。例えばY31シーマはゼロヨン15秒台のクルマです。グランツーリスモより上の走りを目指して作りましたから。当時「高級とは何か」という勉強もたくさんしたんです。そうするとやはり高級というものの定義が人それぞれ違うものなのだ、ということがわかってくる。となるとね、私にとっての高級とは何かといえば、加速性能、動力性能がトップでなければ高級とは言えない、そう思うんですよね。そこに共感してくださるお客様はたくさんいらしたけれど、ジャーナリストはそこを問題点として言ってくるわけです。

前田 でも動力性能というのは、自動車という商品のもつ根源的な魅力の一つですものね。

三坂さん レースをするのもやはり移動機関としての速さを追求するからですよね。その部分というのは、自動車にとってとても大事なものだと私は思っていますよ。

前田 それがシーマや三坂さんにとって「高級」の大事な要素なのですよね。

三坂さん 「高級」にはさまざまな形があるけれど、私は「走り」の部分を強めて、それを高級と称したい、と。


 高級とは何か、というテーマはつねに高級車づくりにはついてまわるものだろう。その時代によって、あるいは作り手の価値観や人生観によって、高級「観」というものは変化するものかも知れない。そんな中で、Y31シーマはあの暴力的な加速による胸のすく走りをして「高級」と定義づけた。それに対し、「ジャグァー」や「ベントリィ」を愛する徳大寺氏が異を唱えたのも無理はないことだろう。しかし顧客はY31シーマの走りを大きく支持した、これは高級車のいかなる歴史を前にしても事実であり、新たな高級「観」の創出と認識しても良い出来事だったのではないだろうか。

 のちのY32シーマは当初、英国車のような佇まいをもち、日本の高級車としてはややマニアックな持ち味のクルマに仕上がっていたが、それはY31シーマほどの人気にはならなかった。むろん、時代が目まぐるしく変わっていた時期であったことも小さくない。バブルもはじけた。様々な意味で高級車の置かれる環境は変化していたと言える。



広報部にも在籍されたご経験のある三坂さん。
ジャーナリストの扱いにも慣れていらっしゃいます。


前田 シーマの動力性能もそうですが、901活動に代表されるようなハンドリング性能など、あの頃の日産はクルマの運動性能の良さというものに突出していて、またそれがお客様に理解されましたよね。

三坂さん 初代プリメーラなんかもその代表になると思いますが、やはり突出した何かを持たなければあのような人気車にはならなかったと思いますね。あれもこれもとバランスよく作っても、どこかでライバルに負けることになる。それより突出した魅力を持つことで、そこだけは負けていないという自負にもつながりますよね。高級車にしても、クラウンのような高級感というのはなかなか作れるものじゃないですよ。そこを追いかけるより、こちらは走りの良さで勝負する、という舵取りをしたのがY31だったわけでね。

前田 走る曲がる止まる、という部分ですよね。

三坂さん その通りです。例えば今、コンピュータプログラムさえ上手くできれば、すなわち自動車というものが作れる、というようなところに焦点が当たっているような気がします。でも、自動車の、走る曲がる止まるについてのノウハウというのはどうしても必要になってくるはずなんです。

前田 とくに走安性については机上の理論だけではどうにもなりませんよね。

三坂さん 例えば901活動のときにしても、まずは評価をするドライバーの育成から始めなければならなかった。海外のスクールに入学させるなどしてテクニックや感性の部分を磨いて、人が運転したときにクルマはどのように動き、反応するのか、またそこから人は何を感じるのか、というところをとても重視していました。

前田 個人的に、日産自動車という会社の中で実験部門の存在感というものがとても大きいと感じているのですが。

三坂さん 実験部門がクルマを作っている、という感覚は日産にいるとあります。実験部門がないとクルマにならないですよ。

前田 計画を立てて設計をして、鉄をプレスして、それだけではクルマにはならないと。人が乗ってどう思うか、というのは重要ですよね。

三坂さん シーマの試作車をテストコースで運転した時に私は乗り心地が柔らかいと思ったんです。でも、テストコースは路面がキレイだからそう思うのであって、一般道に出ると思った以上に凸凹している。私が「もっと硬くしたほうがいい」といってそのように仕立ててもらった試作車で一般道を走ったら硬すぎてダメでした。やっぱり「素人は口を出しちゃいけない」ということですね(笑)。

前田 シーマにはターボ車にバネサスでやや硬い足回りのタイプⅡSというモデルがありましたよね。これはやはり三坂さんの好みを反映したものですか。

三坂さん やはり私なんかは硬めの足廻りが好きですから、スポーティなグレードには硬めの足廻りを設定したんです。でもやはり圧倒的に売れたのは一番上のグレード、タイプⅡリミテッドでしたけれどね。


 走る曲がる止まる、というのは自動車という商品の根源的魅力である。自動車とはドライバーの意思によって操縦され、高速移動をなさしめ、その結果目的の場所に目的通り安全に到達できることに喜べる商品だ。ゆえに、目的の場所に目的どおり安全に到達したという事実のみならず、そこに至る過程、プロセスとしての「ドライビング」=「走る曲がる止まる」という時間がいかに愉しめるものであるかは非常に重要なことだ。これも現代では忘れられかけている事柄、もう一度見直してもバチは当たるまい。



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【 後 編 】へと続きます。
 
 
 
 
 
 

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