「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGです。かなり不定期な更新間隔。

あの頃の日産が良かった理由~当事者に聞く(2)【後編】



この記事はY31セドリック・グロリア、シーマの商品主管、三坂泰彦さんへのインタビューを三部構成でまとめた記事のうちの【後編】です。

前編中編後編



ポケモンGOに負けている現代の「クルマ」という商品

前田 その後、商品本部にはどれくらいいらっしゃったのですか。

三坂さん 7年ほど商品本部にいたと思います。

前田 最後に送り出したクルマというのはご記憶ですか。

三坂さん 最後に送り出したクルマは覚えていませんが、初代エルグランドとか、そんな時代ですね。今から20年くらい前のことです。

前田 Y31が出て、景気もどんどん良くなって、日産車もどんどんいいものが出てくるようになりましたよね。でもその後バブルがはじけて、そこからまたしんどくなってしまいました。

三坂さん しんどくなりましたね。最終的に99年にカルロス・ゴーンさんが日産にやってくるわけですね。

前田 80年代後半にとてもいい時期があって、会社もクルマ作りもどんどん良くなって行きましたが、浮き沈みもありました。その後のクルマづくりをどのようにご覧になりますか。

三坂さん 例えばスカイラインがかつて月に3000台や4000台売っていたものが今では3桁の台数ですよね。こうなると、どうしたって主力はセレナのようなクルマになって行きますよね。でも私の個人的な感覚ですが、あれはもう今までの「クルマ」とは違いますよね。走安性とか動力性能という要素ももちろんあるのでしょうが、どちらかというとシートのアレンジとか広さといった面がクローズアップされている。こういってはイカンのでしょうが、興味が湧かないです(笑)

前田 私もまったく同感です。

三坂さん 私の息子なんかもミニバンに乗っていたりしまして、家族としてはとてもありがたいと思う反面、私の思う「自動車」という感覚では見れないですね。

前田 よく考えるのですが、どこかに感覚の変わり目のようなものがあったのではないかと。昭和の日本人にとって自動車というのは贅沢品だったのだと思います。床の間にでも飾っておくような、いわゆる「貴重品」のようなものだと聞いたことがあります。それが、僕らの世代になってよく目にするのが、狭い敷地に一戸建て住宅を建てて、その一階部分が車庫になっていると。そこにスッポリとセレナのようなクルマが収まっているのを見ると、「ああ、クルマは家の一部、もうひとつのお部屋なんだな」というふうに思ったりしますね。

三坂さん それを家族みんなで使う、生活に溶け込んだ実用品というわけですね。そこへいくとY31シーマなんかは遊びなんですよね。

前田 決して遊んでいるわけではなかったでしょうが・・・

三坂さん でも青信号で隣のクルマよりダッシュが速かったと喜んでいた、そういう時代の産物、ということでしょうね。

前田 そういう時代ではなくなってしまったということなんでしょうね。

三坂さん またそういう時代が来るのかもしれないし、わからないけれど。

前田 でも昭和の時代にクルマは「床の間に飾っておく感覚」のようなものがあったと思いますが、そういう感覚というのはもう戻ってこない、それくらい大衆化したということですよね。

三坂さん そうでしょうね。例えばフェラーリやマセラティを見るとわかりやすいですが、ステータスシンボルという種類のクルマは今でもある。当時のシーマはそういうクルマだった。

前田 「高いから買う」、シーマはそういうクルマですものね。

三坂さん でも、これからの時代、「クルマ」がそういう存在になるというのは、ちょっと考えにくい。

前田 僕ら世代の人間がクルマで楽しもうとすると、どうしても古いクルマ、たとえばバブル期のクルマなどに行くしかなくなってしまうんですよね。

三坂さん クルマをどう捉えるか・・・単なる交通手段だけではない何かを求めるとすると、どうしてもそうなりますよね。

前田 幸いなことに、今回日産ではノートe-POWERがとても売れて、良い兆しを感じているところなのですが、なんとか、あの頃のように、メーカーとユーザーが通じ合うような、そういう関係性を取り戻せないものだろうかと思っているのです。

三坂さん なにかきっかけのようなものがあるといいのでしょうけれど。

前田 あの頃の、三坂さんをはじめとするみなさんのお仕事ぶりから感じた良い印象、ポジティブなイメージというのは、きっと時代や、もっというと、どんな商品であろうと関係なくて、モノを作って売る、買ってもらって納得してもらう、これはどの世界でも共通だと思うんですね。でも、今の時代、どうも作り手と顧客が離れ離れになっているような印象があるんですよね。あの頃三坂さんたちが「こういうものを欲しているから作ろうよ」という感覚がもう一つ不足しているというような。

三坂さん セレナやエルグランドのようなクルマも、きっと時代の要請で作られているのでしょうけれどね。

前田 でも、熱狂的なファンはいないです。もう一つ盛り上がらない。誰かガソリン注いでくれないかなと思っているのですけれどね。

三坂さん そこはあなたの仕事でもあるじゃない?(笑)

前田 耳が痛いですね(笑)。でもそのために今日こうしてお会いさせていただいているわけでして・・・

三坂さん 私は以前広報部にも在籍していて、ジャーナリストともよく話をしたりしていたのですが、「自動車を普及させることもあなた方の大事な仕事なんですからね」と言ったら「メーカーはろくなものを作らないじゃないか」と言い返されたりもしましたけれどね(笑)

前田 ボクはそこまで言い返せないな(笑)

三坂さん お互いに自動車を愛しているのだし、自動車が末永く続くように、苦言だけじゃなくて、何かないの?というふうに言ったりしていましたけれどね。

前田 私の目から見ますとね、今の自動車メーカーの方々というのは暗中模索していらっしゃって、とてもご苦労されているように思えるんです。

三坂さん きっとそうでしょうね。80年代前半までの日産が何をやってもうまくいかなかった時代と同じような感じではないでしょうか。私らの頃はたまたまバブル景気というものがあったわけだけれど、今の時代、自動車への関心も薄くなっている中で、それに対してどんなものを提案したらいいのか、と。そこへ様々なものを提案して、トライアンドエラーを繰り返す、今はそんな段階にあるのじゃないでしょうかね。でもなかなかピッタリしたものが出てこない。

前田 三坂さんも現役の頃には直接ユーザーさんとお会いになって、こうしたお話し合いをされたご経験があるのですよね。

三坂さん たくさんの方とお会いしましたよ。でもね、それでわかったのは、市場調査というのは、じつはまったくアテにならないということなんです。お客様というのは、具体的に「こういうモノが欲しい」というふうに答えてくれない。だから技術者たちには「自分が欲しいクルマを作りなさい」というふうに言っていましたね。自分はイヤだけど、お客様はこういうものが好きだろう、とか、そういう感覚ではいいクルマは生まれない、と。そうした観点から言うと、やはり今の時代の自動車メーカーというのは、一つは提案力が低くなっている、というのもあるのでしょうし、時代も変わって、もはや「クルマ」ではない、という市場感覚なのかもしれないですよね。

前田 考えれば考えるほど難しい問題ですよね。

三坂さん まずは自分が欲しいものを作る、あとはお客様が判断すると。でも、そんなバクチみたいなことできるか、と経営陣は言うでしょうけれどね。ちょっと乱暴だけどそういうやりかたをしなければ、例えばシーマのようなモノは出てこないんですよね。

前田 冴えてましたよね、Y31の時は。

三坂さん いやあ、なかなか、いつの時代でも簡単にはヒット商品というのは生まれないですよね(笑)。


 今、もしかすると、作り手にとっても「自分が欲しいと思うクルマ」というものを見失っているという状況なのではないか、そんな気がする。「自信がない」からなにか客観性のあるデータや意見にばかり注意を払うようになる、頼るようになる。しかしそれでは優等生的な商品しか作れないからキャラクターとして、提案力として弱い。こうした要素も今の作り手の「創造力」をさらにスポイルしているところだと思う。となると、その「自信のなさ」はどこから来るのか、ということを考えなければならない。しかし、そんな自信喪失の中でいかに手応えをつかみ、絶大なる自信につなげていくのか、というプロセスを、例えばY31セドリック・グロリア、シーマのクルマ作りを一つの事例として辿ってみると、浮かび上がってくるのではないか。


前田 私もクルマが好きでクルマのことを書いていますが、なんとか、この作り手とお客様が「乖離」している状況が持ち直さないだろうか、そのきっかけを見つけることはできないだろうか、と。こうした元気のない状況が心苦しいという面も多々あります。

三坂さん きっとクルマが好きな方というのはたくさんいらっしゃると思いますけれど、そうした方々の期待に応えられる商品を出せていないというところもありますよね。例えば、EVや燃料電池など、新しい動力機関というものも生まれてきていますが、基本は気持ちよく、楽しく走ってくれればそれでいい、ということだと思うんですよね。動力源は何でもいいと。自動車そのものの魅力と動力機関の問題は別なんじゃないでしょうか。

前田 必ずしもガソリンでなければならないわけではないと。

三坂さん どんな動力源であっても、楽しく走れる、これが重要だと思いますよね。

前田 そうなると行き着くのは、やはり、「ハンドルを握って楽しいクルマ」ですよね。

三坂さん 例えば自動運転というものが生まれてきていますが、しかし、極論だけど、なにも自動車に乗りながら後ろ向いてお茶飲んだりする必要なんてないだろうと、個人的には思うんですが、そこがもう私が時代と合わなくなってしまったところかも知れないですね。

前田 「自らハンドルを握ることに価値を置いた高級車」をお作りになったわけだから・・・

三坂さん それが全てだとは言わないけれど、自分でハンドルを握る楽しみがなくなるというのは、自動車の重要な商品価値がなくなるということだと思うんですよ。私みたいに歳を取るとね「どうしてくれるの?」と思ってしまう。

前田 あまり歳は取ってはいませんが、同じように考えてしまいます。

三坂さん クルマ好きの人はそういうふうに考えると思います。でも世の中はどんどんああいうふうに進んでいってしまう。これはね、あまりクルマを好きでもない、詳しくもないジャーナリズムがミスリードしているという側面もあると思いますよ。でも、もうそれでいいよ、というのが世論なのかもしれない。ポケモンGOがあればそれでいいと(笑)

前田 運転よりもポケモンGOが大事という時代ですものね、危ない危ない。

三坂さん まあ、そういう時代なのかなと。でも、私のように自動車で生きてきたような男にとっては、寂しいことです。運転する楽しみがなくなっていくというのは本当に惜しいと思いますよ。

前田 反面で、輸入車はよく売れていますよね。輸入車、とくにヨーロッパ車を買う人の購買動機は、やはりハンドルを握るのが楽しい、ということのようです。

三坂さん やはりそういうお客様というのは確実にいらっしゃるんですよね。でも日本の国産メーカーからはそのような「供給」がなくなってしまったということなのではないでしょうか。残念なことですよね。トヨタさん、ホンダさんもがんばってくれないと(笑)

前田 トヨタさんホンダさんだけでいいのですか(笑)

三坂さん もちろん日産もですが、でも、自動車会社全体に頑張ってもらわないとね。EVだ自動運転だとやっているけれど、私らのような運転好きはどうなるのですか、ということですよね。

前田 トヨタ自動車は、豊田章男社長が先頭に立っていろいろパフォーマンスしていらっしゃいますよね。ああしたことをやらないと、また、クルマ好きのお客様を掘り起こせないという側面もあるのでしょうね。

三坂さん そういうことも大事ですよね。最近、世界販売台数なんかを見ていると、ヒュンダイなんかがかなり健闘していますね。トヨタもワーゲンに抜かれている場合じゃないぞと思ってしまいます。


 三坂さんは「ハンドルを握る楽しさ」と自動車を愛する理由が直結していることを深く理解していらっしゃる「カーガイ」だ。ご自身が運転好きであるということも大きい。クルマを作る際、作り手の意識や好み、価値観が反映される、ということを考えると、今の時代の自動車という商品とそれを作る人たちというのは、「ハンドルを握る楽しさ」ではないところに重きをおいているということが見えてくる。そのことが自動車の魅力をもうひとつハッキリさせない、モヤをかけてしまう要因なのではないだろうか。


前田 それともう一つ、先ほどお話しの中にもありました、ジャーナリズムのミスリード、というポイントも小さくないと私は思っています。

三坂さん ニュースやワイドショーのコメンテーターの発言を聞いても、もうひとつ説得力がないし、きちんと物事を洞察できていないような気がしてしまう。まるで近所の奥様方がお茶でも飲みながら話しているような内容のものばかりで、それを公共の電波を使って流しているわけです。やたら感情的だったりもして・・・

前田 結論が見えなくて、発言や会話に生産性がないことが多いですよね、公共の電波に乗るものとしては。見識が低かろうが、テレビは数字が取れると思えば即そういう人と意見を採用するし、大衆に迎合する。そのおかげでそういうものが世論の大勢になってしまったりしているのではないかなあと。

三坂さん 四十歳代の方と意見が合うというのは嬉しいなあ(笑)

前田 私の場合、同世代の人間と意見が合わないという、そういう問題もまたあったりするんですけれどね(笑)

三坂さん しかし、自動車の分野にもそうした影響というのは及んできているのかもしれませんね。


 昨今の自動車づくりに対してマスコミ的、あるいはステレオ的思考が、クルマというものの本質を変容させてはいまいか、という、この段落はそういう話である。クルマに限ったコトではないかもしれないが。


堪能したクルマづくり

前田 中学時代にこのY31というクルマから非常にポジティブな印象を受けて、とても憧れたクルマなんです。そんな憧れたクルマの「親方」をお会いできるというのは、野球ファンにとって長嶋茂雄さんとお会いするのと同じくらい値打ちのあることなんですよ。

三坂さん それは嬉しいなあ。

前田 先日の若林さんとのお話もそうでしたが、今日も本当に楽しみにしていました。非常に細やかなご記憶を、十分以上に細やかな描写でお話いただけたと思います。

三坂さん もう半分ボケているからね(笑)

前田 まさか、まさか(笑)、ところで、三坂さんは今もおクルマを運転なさるのですか?

三坂さん もうこの歳だからって女房はうるさいから、女房は乗せて走らないことにしているの(笑)。

前田 どのようなおクルマなのですか。

三坂さん スカイラインです。現行型ではなくて、形が変わってV6になった最初のモデルです。その前もやはりスカイラインでしたがこれが本当に良かった。ガラッと変わるひとつ前のモデルです。

前田 R34型、走りをとても頑張ったスカイラインですよね。

三坂さん それです。そのスカイラインで都内から茅ヶ崎の会社まで通っていましたから。

前田 茅ヶ崎ということは、オーテックジャパン時代ですね。

三坂さん そうです。10年以上前のことでしょうか。

前田 スカイラインにお乗りになることが多かったのですか。

三坂さん じつはシーマやセドリックには乗っていないんですよ。会社のクルマでは乗りましたけれどね、自分では所有はしていないです。今日あなたの話を聞いていたら、またY31に乗ってみたくなりましたよ。久しぶりに昔を思い出してお話させていただけて良かったです。

前田 先日、若林さんにもこのシーマのカタログにサインを頂いたのですが、三坂さんも何か書いて頂けませんか?

三坂さん ああ、いいですよ。

前田 何か一言、というふうに思っているのですが、「好き勝手」というのはいかがでしょう。

三坂さん おお!私も「勝手にやりなさい」にしようかと思っていたんだよ!

前田 それ、いいですね(笑)

三坂さん いいですか?(笑)、意見が合うなあ。

前田 こんなダブルネームが入ったカタログなんか、世の中にないですよ。

三坂さん いやあ、喜んでもらえると嬉しいなあ。こうしてお客様に喜んでもらえるものを作っているわけだからね。

前田 私もY31を買いましたから、これで三坂さんたちのお客の一人になりました(笑)。

三坂さん あれからもう30年近く経っているけれど、あのとき、国内営業から飛ばされなかったら、こういう楽しみはなかったんだよね。

前田 大いに堪能なさったのではないですか。

三坂さん 堪能した、そうなの・・・

前田 それが、クルマを通して伝わってくるんですよね。

三坂さん あなたのような若い人に、またこのクルマを生むような土壌をつくってもらわないとね。ジャーナリストの使命ですよ。ハッパかけているようで悪けれど(笑)。そうでなければジャーナリストがいる意味がないんですよ。そのためにいるのだから。批判精神も持ち、育てる心も持ち、それで頑張ってくださいよ。そうそう、今度若林君とも飲もうかと言ってるんですけどね。

前田 それはいいですね。

三坂さん どこで会おうかなんて話していて、丁度真ん中の横浜がいいかな(笑)

前田 よかったら私も呼んでくださいよ(笑)

三坂さん それは楽しくていい!いや、こうして世間に目を持った、耳を持った人とお付き合いしないと、だんだん情報がなくなっていくからね。

前田 ありがとうございます。お役に立てればと。




 彼はなにも「いいクルマを作ってやるぞ」と執念を燃やしていたわけではない。クルマをいかにして売っていくか、という仕事に長く携わり、客扱いに心を砕き、技術ではない観点からアプローチしてクルマという商品を深く知り抜いた、そういうタイプの「カーガイ」だ。お話しをさせていただいて強く印象に残っているのは、もう八十歳に近いお歳を感じさせない物腰の柔らかさと、受け答えのレスポンスの鋭さ。まさに高感度なコミュニケーションがそこにはあった。

 今、改めてY31型セドリック・グロリア、シーマに見つけることのできる「勝因」とはどこにあるのか。まず挙げるべきは、従来の方式や常識を否定し、新しい手法や考え方を柔軟に取り入れる姿勢、さらにこの時の日産で言うならそのための大胆な人事と人選というものがあった。新しい考え方を持ち、力を発揮できる人材をしかと内包し、人選をする者がその人材の持つポテンシャルを見抜いていたことが小さくない。

 しかしそれはあくまでも氷山の一角に過ぎない。当時の日産には明確に「危機意識」というものがあり、「この状況はなんとかしなければならない」という認識を多くの社員が共有していたことが伺える。でなければ、三坂さんのような革新的な仕事ぶり、クルマづくりに対し、ブレーンとなる技術者たちが手足のように動いてくれることはなかったはずだ。あるいは、技術者たちも三坂さんのような上司を、心の中で待ちわびていたのかもしれない。

 Y31型セドリック・グロリア、シーマとは、三坂さんそのものだ。時に柔軟、時に「非常識」と言われるほど大胆な発想を具現化し、それがまた顧客の熱い支持に結びついた、そのことは一仕事人として本当に素晴らしい成果という他ない。

 1987年、筆者の中学時代。Y31から受けた「電波」の正体はそこにあった。多感だったあのころに感じていた世の中や学校や大人たちの「硬直」した考え方。しかしそうではない、硬直した思考や常識の外に存在する真実というものもある、もっと誰もが気持ち良く日々や人生を「泳ぐ」ように生きる、そんな生き方もあると、Y31は告げているようだった。そして筆者のその後の人生にはその考え方や法則がつねにあり続け、今日という日に至っている。

 彼は言った。

「あのとき、国内営業から飛ばされなかったら、こういう楽しみはなかったんだよね。」

・・・「こういう楽しみ」。帰り道、Y31グロリアで暮れなずむ西神田のカーブを曲がりながら思った。もしかすると今日、僕は30年の時を経てささやかなギフトを届けに来たのかもしれない・・・アスファルトの道を泳ぐように走るY31は、カーブの出口へと、軽やかに僕をいざなうのであった。


78歳、Y31の父、三坂泰彦さんと平成元年12月登録、満28歳、筆者のY31グロリア。
そして後ろに偶然停まった、現役で活躍するY31セドリックのタクシー。
奇跡のスリーショット。





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2017.3.8
前田恵祐

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