「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

飴色の瞳


樹脂製ヘッドライトの濁り(2013.7)
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 未来というのは未知である。時が進む限り一寸先は、概ね予想はつくのかもしれないが、予想通りに行かないこともある。それは人生の楽しみということも出来ると思う。しかし時と共に確実に変化し変質し、劣化していくのが自動車という製品の特性でもある。クルマは止まっていてもヤレるのだ。クルマを買うときには、ヤレた将来をある程度想像して買わなくてはならない。


 ヘッドライトという部品は重要保安部品だからおいそれと遊んだり手を抜いたりすることがしにくい部品である。少なくとも電球以外は消耗品でないことは確かだ。しかしこの15年、ヘッドライトレンズはガラスから透明の樹脂へと代わって行った。その理由は成型の自由度が高くより流麗になっていくボディデザインの一部となりつつあることと、軽量化。舳先に重たいガラスのケースをぶら下げていたのが軽い樹脂ケースに代わったとしたら車両重量の軽量化だけでなく、転回時の慣性モーメントを少なくすることが出来、クルマの運動性にも寄与してくる。もう一つ言うなら、対歩行者安全性だろう。樹脂の方が柔軟であるし、割れても傷つける可能性はガラスより低いだろう。


 しかしこの樹脂製ヘッドライトレンズがクセモノだった。


 いい具合に飴色に変色しているヘッドライトをよく見る。じつに醜い。しかしこれは一概にコストダウンの結果とはいえないことは上述のとおりだ。ワケあって樹脂になった。でもその耐久性については全くの未知数だったというわけである。出すときは一応「大丈夫だろう」ということで出す。しかし10年なり15年なりを使って走って経てみるとああいう結果になる。


 何度も言うが事前テストといっても10年間テストしたわけじゃない。それに作った時は今ほど酸性雨も濃くなかったかもしれないし、オゾン層を越えてくる紫外線も少なかったかもしれない。クルマを作る上でのテストに「経年」という要素は盛り込みにくいというのは動かしがたい事実だ。人工的に時間をつくることなどできないのだから。


 ヘッドライトの変色は、あまりに度が過ぎるとヘッドライトの電球の光を遮り、車検不適合になることもある。だからといって10年も経ったクルマにメーカーは責任を持ってはくれない。


 そんなわけで最近はヘッドライトを研磨しその上から有害物質をガードするコーティングを施す商売が出始めている。ディーラーでもやっているところがある。それで元通りの輝く瞳に戻るから大きな文句も出なくなったのだろうが、それを知らない人にとっては「やれやれコイツもそろそろ寿命かな」と観念してしまう問題かもしれない。そう思わせるくらいあの飴色に濁ったヘッドライトは醜い。


 私は、それでも濁ってしまうヘッドライトを作った人たちを責めるのも可哀想だと思う。なにせ彼らは経年劣化の実験をしようがなかったのだから。そのときは大丈夫だというデータが出ていたのだろう。しかし予想に反してヘッドライトは濁った。


 つまりそれくらいクルマという商品は時間と共に変化変質し、劣化していくものだということが言いたいのだ。そのことを分かってクルマに乗らないと愛着というものが持てなくなると思う。最近のクルマは一見丈夫になり壊れることは少なくなったが、その分手をかける必要が無くなり、ただでさえ人はクルマに愛着をもてなくなってきていると思う。それでも、モノ(クルマ)を大事にしようとするなら、モノの性質を知らなければならない。即ち、クルマは意に反して劣化するということである。


 それなりの大金を支払い、共に過ごし、想い出を残してくれる相棒を、そう簡単に諦めたくはないじゃないか。





前田恵祐



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