「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

Monthly Talk 201111


2011.11.1



 携帯はぜんぶスマホのたぐいになってしまいそうな勢いを感じ、日々肩身が狭い。なんせボクは在来型携帯さえマトモに使いこなせてはいない。というか、携帯なんてラクラクホンのようなものでいいとさえ真面目に思っている。しかしそうしないのはカメラ機能の高さで機種を選んでいるからで、ナニを隠そうこのblogのオリジナル画像は全て携帯カメラによる撮影なのです。


 そもそも携帯にカメラなんかついてなくても、いいといえばいい。でもメールやインターネット、i-MODEは必要かもしれない。緊急時の連絡手段としておおいに役立つということはこの震災ではっきり証明された。携帯は、本来「携帯電話」という商品なのであって、携帯カメラでも携帯音楽プレーヤーでも携帯ゲームでもない。


 のべつ幕なしにスマホだかi-padだかを相手にチマチマ手を動かしている、「イイ大人」が大勢居ることが実に見苦しい。そんなに「何かして」いないと「持たない」んだろうか。混雑した通勤電車で新聞を広げれば二人前、携帯をいじれば一人前半のスペースを食う。そんなものちょっと考えればわかることだ。お互いに気持ちよくない空間をできるだけストレス無く過ごす工夫をしないのはいったい何なのか。


 あの携帯を弄っている時間のために、本来人として使わなければならない「時間」が消費されてしまって、人間はどんどんアホになっていくんではないかと、怖くなる。人間は考えたり思ったりすることのできる、そういう機能を持った、高機能な動物。それが考えたり思いを深めたり、高めたりする時間をアイツらに奪われている。僕はそんなふうに思えてならない。


 例えば、アプリ、のようなものは無くても、今のところは困らない。しかしこれから、無くては生きていけなくなってしまうようになるのは怖い。ああしたものがあることで便利になり「時短」に繋がるのがイコール無駄を省く、みたいな詭弁を述べるのはメーカーや携帯電話会社だが、しかし便利になりすぎるということは、何でも一人で完結するということであり、即ち、人との関わりがどんどん希薄になっていく。ましてや人の代わりに機械が仕事をするということは、巡り巡って人の仕事を奪う=雇用がなくなることを意味している。働き口がなくなる機械をカネを出して買う、じつに滑稽な話しだ。


 携帯電話が高機能になればなるほど、こうした矛盾が頭をもたげるのである。機械の発達とは、究極、人は寝て暮らせるようになるところを目指している。しかしそうはなっていない。人は相変わらずカネを偏重しカネに依存しカネに蝕まれ、カネに振り回されてもいる。カネを得るには労働は不可欠。しかし機械の発達はその労働の機会そのものを人から奪う。なんという矛盾だろう。


 クルマは、人が自分の意思で自由に走らせる喜びがあって初めて成り立つ商品だというのに、向かっていく先は「自動運転」とやらだ。そこまで来たらもうクルマは必要ないと言っているようなものではないか。寝ていれば目的地に着く、寝ていてもブレーキがかかって止まる、たしかに人間のやり損ないは防げるかもしれないが、では機械のやり損ないは誰が防ぐのか。そう考えると某社のあのCMのあの売り方には到底賛成できない。補助装置であるという旨があまりにも薄すぎる。しかしそんなものの補助を得なければ人は車を安全にコントロールできなくなってしまったのだろうか。


 機械は人間の機能や意思を助長するものであって、退化させるものではない。行過ぎた進歩の裏には開発者たちのコンプレックスが見え隠れする。つまり、することがないのだと思う。その後ろめたさの裏っ返しが無意味なまでの機械の進歩だ。それ以外にアイデアがない。そう、スマホにやられて自分でアイデアを搾り出す力がなくなってしまったんだと思う。











前田恵祐


.

拍手[1回]