「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

Monthly Talk 201304

01 Apr 2013
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 若い頃は希望に満ち溢れていたなぁと思う。人生もほぼ半ばとなった今、希望を持ってもそれがどれだけ実現できるかという引き算になってくる。だからといって希望を捨てたわけではない。ただ、希望や目標、生きる目的がうんと絞られてきた観はある。


 何をするにも「やってやるぞ」とか「ここまではいくぞ」という目標を立てる。これが若いうち。最近は「まぁ行けるところまで行ってみようかな」くらいにはなった。目的や目標の意識が強すぎると、それは同時に現在地への否定を含むような気がする。今ではない未来、現在とは違う将来、のような感覚だろうか。しかしこれも歳をとるにつれて、人生と言うのはそう劇的には変化するものではないのだな、ということを、理解させられるようになる。俗にこれを「人が円くなる」ということなのだろう。


 若さとは、時にエキセントリックだ。エキセントリックなだけに衝突も多かったり、気を揉んで疲れたりするが、本来エネルギーを使うべきところに効果的に、あるいは合理的に使うようになれればそんなに疲れないんだ、ということがわかってきた。だから、フケたというより、自然体になったということだろうし、あるいはうまく自己肯定ができるようになった、と言い換えてもいいかもしれない。それが人生三十八年の円熟というものなのかもしれない。


 今の世の中、理不尽なことはたくさんある。それは間違いない。しかし私は、生きていける場所で身の丈にあった生き方が出来ればそれでいい、と思う。不満ばかりぶちまけたところで変わるような簡単な世の中ではないし、かといって理不尽を理不尽だと言い続けることをやめる気もない。私はその程度のちっぽけな人間なのだ。それに気がつけないアオさにこれまでの人生、ずっと苛まれてきた気がする。


 生きていて成せない不満はあるが、そいつはもはや大したことじゃない。不満もあるのが世の常、人の常だから。自分だけが不満に苛まれていると思うとやりきれないが、人の痛み苦しみがわかるような境地に至ると、モノサシの幅が広がり「ああ自分だけじゃないんだな」とラクになる。みんなそうやってやりくりしながら生きているんだなと。こいつが「想像力」と言うものなのだと思う。


 はっきり言えることは、もう「一発逆転」の人生は無いのだということ。あると思っていたということを恥ずかしながら認めてしまいたい。「一発逆転」の下意識には「自己否定」がある。べつに今の人生、今の毎日、この時々、そんなに悪くないしこれはこれで快適である。そんなごく目の前の簡単なことに気がつけたことがここ最近の私の大きな収穫の一つだ。









前田恵祐



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