「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

Monthly Talk/01 Aug 2014


 安さを追い求めた結果、たとえば「食」の信頼は確実に低下した。産地偽装などまだ可愛いほう。賞味期限切れ原料問題や衛生管理の問題など、消費者は自らの財産を守るために出費を削った結果、粗悪なものを日々口にせねばならなくなった。
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 ケチった結果はあくまでのケチった結果でしかなく、それなりのものしか手に入らないのだということなのではないだろうか。信用や信頼に対する対価は相応に必要とされるものだ。たとえば、生産者側の教育レベルが即品質に繋がっているのだとすると、きちんと教育を受けた人材を適切に確保するためには相応の人件費が必要なのであり、したがって製品価格はそれ相応の価格になってゆく。信頼を買うというのはそういうことだ。


 教養のない安い生産国に依存せねばならないのは、我々の教養のなさが反映された結果だ。やみくもに安さを求めるのは利口ではない、ということは今回に限らず、たとえば高速バスの運転士のローテーションにしわ寄せが来ていることも同じような構造である。


 信頼への適切な対価を支払う、という人間が保つべきひとつの品位が忘れられた結果、たとえば信頼を提供しようと努力する気持ちも捨てられてしまうということではないだろうか。その気運が蔓延した結果、人心は荒廃し国民性だとか民度のようなものが著しく低下していくことになる。作る側は投げやりになるし、買う側はさらに「信じられなくなり」、そしてまた買い叩くことになる悪循環だ。


 提供される製品の品質は、即ち作り手の品質であり、それを担保しているのは買う側である。だから提供される製品の品質が低下したことを買う側が一方的に責め立てることは出来ないと思う。やみくもに安さを追求せず、適切に保たれた品質には適切な対価を支払うという平等性(品質)を持たねば成るまい。品質は生産者側でのみコントロールされるものではなく、購入者側にもひとつの義務として担保すべきことなのだと認識する。


 人々の消費活動というのは、その「消費」という言葉とは裏腹に、実は循環なのだと思う。作る側の品位が買う側の品位をコントロールし、買う側の品位が、作る側の品位をコントロールしもする。互いに影響しあい、互いの利益や安全や生活を担保しあっているとも言える。


 米の一粒も残してはならない、お百姓さんに足を向けては寝られぬ・・・こんな教育を受けたのはもうずいぶん昔のことのように思える。かつて「食」とはそれほど「位」の高いものだった。それがいつしか食べ物が目の前にあることが当たり前のようになり、やがて飽食と呼ばれるようになり、そして「食」などどうでもよくなってしまった。今回の騒動はひとつのアラームだ。物理的に信頼できるものを得るために、食べる側は作る側を、作る側は食べる側を互いに保証しあうというひとつの信頼関係を取り戻すべき時に来ているはずだ。









前田恵祐


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