「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

Monthly Talk/01 Sep 2014




 災害と言うのはいつ何時訪れるかわからない。そしてその災害によって当たり前のようにあった穏やかな日々が突如として強制終了することもある。人間の営みは脆く儚いものなのかもしれない。2014年8月、広島を襲った大雨土砂災害を見て、改めて自然災害の恐ろしさを噛み締める。


 大量の雨が降り、山に堆積した土砂が一気に流れ出し家々をあっという間に飲み込んだ。山津波という言葉を聞いたことがある。まさに3.11の黒い水を想起させた。防潮堤があれば、あるいは今回の災害にしても、もっと早くに避難指示が出ていれば、また、どこまで山懐を開削して家を建ててもいいのか、議論は尽きない。しかし想定を超えたところに災害はやってくるものだ。


 所詮人は災害に太刀打ちできないし、持ち家などこしらえて、その災害で失う怖さと戦うくらいなら、そもそも家という財産の持ち方は正しくない、これは僕の持論だ。だいいちそんな財力などなくて家なんか持てる分際ではないのだけれど。家は公営住宅あるいは民間の集合住宅の賃貸でよく、財産を持つとすればささやかな程度の満足が得られるクルマで十分。それも例えば土石流などに流されてもいいくらいのものに満足を見出しておく。家族や友人に大した執着はなく、遅かれ早かれ別れが訪れるものと、今から心積もりをしておく。


 それでも自分自身があっけなく終わってしまうことだって、大いに可能性のあることだ。僕はまだ人生に成功しているとは思っていないから、多分今死んだら少しは悔しいだろう。でもそれは少しだけだ。そもそも成功とは何なのか、富を得ることなのか、名声や名誉を得ることなのか、そう考えたときに、必ずしもその限りではないと思う。見栄を張れる人生ではないが四十年余りを生きてきた。その叡智の限りで最善を尽くし続けたかどうか、やるだけやったかどうか、というところが大切だと思う。少なくとも今僕は弛緩した日々を送っているつもりはない。


 失っても構わない、という感覚だろうか。失っても悔いが残らないくらいに生き、失っても悔いが残らないくらいに「身支度」をしておく、というのが、人として大事な態度なのではないだろうか。富や名声や金銭や友情や愛情などに悔いを残すような生き方は、僕はしない。人は人生数十年の中で残せるものなど大した物ではない。偶然、生きる場を与えられ暗闇から生れ落ちてくる。そして偶然が偶然を呼び出会いや別れ、喜びや苦しみを味わい、やがて然るべき時に消えていくだけのことだ。あらゆる意味で現生に悔いを残さない生き方を見つけることこそが最大の学びなのではないだろうか。


 何か災害が起こるたびに、人は生き延びるための支度を確認するが、僕は同時に突然終わる時のための支度も確認するようにしている。生きるか死ぬかなど、自分の意思の及ぶところではないのだから。人間の「生」とはかくもあっけないものでしかない、そのことをよく知っておく必要があると思う。









前田恵祐


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