「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

Monthly Talk/01 May 2015




 僕は最近、まゆゆ推しなんですが、その前は大島優子だったしあっちゃんも悪くないと思っているタイプでした。とくにあっちゃんはけっして美人じゃない、そのことを本人もよーくわかっていて、そのコンプレックスめいたものがまた彼女のアイドルとしての異質な魅力を輝かせていた面もある。芝居とか、今はまったくダメだけど、伸び代はあると思う。注目すべきは十年スパン。AKBは粒はそろっていないが、やはり魅力的な人間性のある人材を揃えている。


「まゆゆ推し」と「敢えて」僕は書きました。


 しかしそれが日本人の大好きな「従属」とイコールになっているような気がする。日本人は自分や他者の所属をとりわけ重要視する。どこの学校を出ましたか?、どこの会社のどの派閥ですか?、あるいはどんなクルマが好きでどんなクルマに乗っていますか?、アイドルの誰が好きですか?・・・という具合に。それがいわゆる名刺がわりになって、個人を特定したり認識、解釈が早まったりするという効能はあるにしても、それ以上に僕はセクショナリズムを生む悪因だと思ってます。あるいは敵を作る材料、口実ね。


 日本人の従属好きは、即ち、村、集落社会を端緒としている、僕はそう考えています。村社会に属せない人は「村八分」になる。生き方や考え方は一つか、あるいは一つに近い形で束ねられて多様性を許さない。そうして統率し、統率を受けることになんの疑いも抱いていないし、それが最も安全だと信じている。そして敵とかスケープゴートみたいな存在を作ることで自らの従属性を、自分自身にまず証明してみせることで無類の充足感を得る。気が小さくて視野が狭くて何かに怯えながら、そして従属の名のもとに他者を貶めて無類に満足する。すばらしい世の中。


 つまり、自由じゃない。多様な価値観や生き方、考え方をけっして受容する世の中ではまったくない、というのが今この時に日本人として日本に生きて感じることです。他人や世の中の常識や流行を意識しすぎるし、流されもしすぎる。本当は色々な価値観や生き方や考え方を認めて、そして深く知ることで人間の思考回路や人間性はより豊かなものになっていく。枝葉が茂るようにね。しかしまったく木が育たない。育てにくい。育たないから自主性も主体性も、そして肝心要の「自己信頼」も生まれない。


 そのことが新しい考え方、すなわち、成長した価値観や生き方考え方、あるいは仕事の仕方を生み出せない所以だと思っています。せめて従前の観点を変えてみるとか、日々行われる無意識による踏襲を疑ってかかってみる、そうした想像力のようなものが激しく欠如している。


 閉塞感、という言葉をよく耳にするけれど、そもそも日本人の生き方や嗜好が閉塞的なのだからしようがない。国のせいでも総理大臣のせいでもない。そういう国民性なのだし、他国との行き来が自由になって、他国の国民性や価値観の多様性を見て爪を噛んでいるにすぎない。悔しい、でも何もできない、アイデアが浮かばない、と、歯ぎしりしているだけでしょう?


 じゃあそのトレーニングとして、「ナニナニ推し」とか「なになにフィスタ」みたいな嗜好や発言や精神的傾向をやめるところから始めませんか、というお話でして。






前田恵祐
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