「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

Monthly Talk/01 Feb 2016



 男の強さの象徴とは、昔は「力」だった。腕力、脚力、体力。しかし文明の発達とともにその「力」の必要性が奪われるとともにこの「男の強さの象徴」も姿を変えたと思う。あるいは、変えざるを得なかったというべきか。いまだもって変えられない男というのもいて、それは暴力沙汰に走ったり、女子供に手を上げてDVだなんだと騒がれる、旧型男がそれというべきだろう。あれはなにも精神が捻じ曲がっているばかりではなくて、単に新しい時代に対応できないという、一種の適応障害ではないか。


 で、適応できている男というのはもちろん大勢いる。昔からの慣わしで、男は女を上回っていなければならない、という「刷り込み」はどうしてもあるみたいで、やっぱり何からの方法で女より上回る自分をなにか見つけようと、男はする。で、多くの男は「知」で女を上回ろうとする。知識で女性を屈服させる、服従させる、黙らせる。「知」は「力」の代用品であると。それは現代の男が陥りがちな、しかし同時にやってはいけない大きな間違いだ。


 昔の男は女よりも上の学校で学ぶことはできたし、社会にも出て様々な経験を経て知識を蓄えるということができやすかったが、しかし現代においてはこのあたりの男女格差は本当になくなっていて、むしろ「知」においても、女性は女性らしい細やかさで自らの「知」を高めることができる元来の性質だし、学歴にしても社会進出にしても男とはほとんど格差はない。専業主婦をしていてもインターネットやTVなどによる豊富な情報であらゆることを知っている女性は多い。


 男はこうしてどんどんその「地位」を追われつつあるわけだ。「知っている」「博識」みたいな値打ちはどんどん崩壊していると思ったほうがいい。博識ぶって知識をひけらかして「わー○○さん、物知り、すごーい」はもう通用しない。何を拠りどころとして生きればいいのか、自分が自分であるために、男として、みたいな気負いというか見栄とかそういうものが男にとってはすごく大事だから、とても生きづらいと思っている男は多いんじゃないだろうか。


 だけど僕はこういうコンプレックスとは今現在ほぼ無縁でいる。


 それは、知らなくていい、と思っているから。所詮自分なんてこの広い地球、宇宙の中のたかが一粒でしかないちっぽけなものだ。すべてを「知ろう」としたってそんなものはどだい無理だ。むしろ、知らなくていい、と思っておいたほうが、新たな知識を吸収することに貪欲になれる。素直に新たな「知」を受け入れることができるようになる。たいがいにして「知」依存男は、「知らなかった」ことに対して著しくアレルギー反応を示す。ま、それはそうだろう。「知」という自らの値打ちに対するプライドや見栄を傷つけられるわけだから。しかし、僕はそんなものはとっくにかなぐり捨ててしまった。


 もちろん、僕も「知」を高めよう高めようと無駄な努力をしていたこともある。でもそうして同時に「知」のプライドを高めてもそのプライドが邪魔して自分自身の気持ちがささくれ立ったり人間関係がうまくいかなくなったりするかもしれないデメリットのほうが大きいと思うようになった。ま、ある種の人からは「自分は馬鹿だ」と言いふらしているようなものだ、と思われるかもしれないが、そいつは逆だと申し上げておく。


 物事の本質を知れば知るほど、じつは、「知」にプライドをもつことがあらゆる障害になっていくということに、本来なら、ちょっと考えれば気がつける、少なくとも僕は気がつけた、もうすでにかなり前のことだけど。「知」を蓄積して自分の中に大辞典をこしらえると、そいつの更新作業はじつにたいへんだ。その大辞典にとらわれて、時として目の前にある真実に気がつけないような思考停止にも陥るだろう。


 男が持つ「知」のプライドも、所詮女へのカッコつけだ。しかし今時そんなところで女は男を見てはいないし、そんなものにとらわれている男は「メンドクサイ」と思われて敬遠されるのがオチだ。今の時代男も女もなくて、いかに柔軟に事実や空気を読み、分析するか、そしてその中から自分なりの答えを見つけて生きるというのが、現代人としてのまっとうな行き方ではないだろうか。「男らしさ」みたいなものにいつまでもとらわれているのはみっともない。


 それもこれもすべて文明が「力」の価値をどんどん下げてしまったからに他ならないわけだけれど、でも考えてみれば「力」の値打ちなんて狩猟にはじまり農耕、戦争あたりまでのもの。男の男らしい活躍の姿や場はなくなり、文明は人間、性別の平準化を推し進めたといっても過言ではない。だからいわゆる「草食系男子」みたいな言い方も生まれるのだろうが、それだって旧価値観に則ればこそ旧来の男らしさがない、という考えに基づいた旧式な表現ということになる。


 どうしても男の値打ちがほしいというなら、ビンの蓋くらい開けられるくらいの腕力で充分だ。そんなことよりも、もっと他のところに、人としての「磨きどころ」をみつけていかないと、男はますます時代や文明に押しつぶされていくことになりますヨ。





2016.1.16
前田恵祐

拍手[6回]