「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

Monthly Talk/01 Mar 2016




 最近世の中で「歳を取ったら然るべきタイミングで人生を終わる覚悟を見い出す」というような論調を打ち出して話題になった人がいる。もう80歳代になった女性作家だったと記憶している。しかし大胆ではあるけれど、これももっともな話しだなと思う。


 僕の住む神奈川県の男性における平均寿命は2013年時点で80.25歳だという。ということは今の時点で僕はその約半分を生きているということになる。しかしではその後もう半分。つつがなく生きられたとしていったいどう生きればいいんだろうとも思う。


 ます、生への執着ってそんなに持てるだろうか。そんなにがんばって生きて、このケッタイな世の中に「オツキアイ」しなければならないのかと思うと、どこまでがんばればいいのかという気がしてくる。それに、歳を食って病を患い、年金や医療費ばかりを食いつぶし、本来十全に医療行為を受けなければならない若い世代をさしおいてベッドを埋め尽くし、自分の命のことだけに執着し続けることにどれほどの意味があるというのか。いや、僕は何も自殺を推奨しているわけではありません。死とは病死、自然死が基本です。念のため。


 ただ、やはりどこかで、見切りは必要だと思えてくる。


 長く生きるというのは幸せなことなのか。僕は疑問だ。ただただ寿命、年齢という数字だけを追いかけて独りよがりのように「長寿」というものを履き違えているようなところはないだろうか。やはり数値主義なのか、ここでも。そこまでして生きたいのかと思う。あるいはご長寿、ご長寿と馬鹿の一つ覚えのように唱える国やマスコミに乗せられて長生きすることをすなわち意義あることと勘違いしているのではないか。


 御幣を恐れずに言えば、人間の終わりというのは人間自身の制するところではない。どこかからその時が突然やってくる。それは病気かもしれないし事故かもしれない。あるいは本当の突然死かもしれない。そして「その時」というのは誰にもわからないのである。だから怖い、恐ろしいと感じるのかもしれないし、誰かの助けを借りて死への恐怖を緩和させようと宗教にはまったりもするのだろう。しかし人間、死ぬときは死ぬ。そしてそいつは誰にも等しくその時を知ることはできないのである。


 例えば、平均寿命が80歳だと聞いて、すなわちそれを自分の「残り時間」だと思う人はどれくらいいるのだろうか。自分はまだその半分だから、まだまだ時間はある、なんて思っていないだろうか。


 僕は人生とはさっさと生きて、さっさと終わるのは一番いいと思う。そしてなろうものなら立つ鳥跡を濁さず、で行きたいものだ。第一そのほうがただでさえ逼迫しているこの国の年金をはじめとした生活保障の一助となるではないか。


 年金保険問題を解決するには、長寿は禁句、としたほうがいいんじゃないかと僕は思っています。




2016.2.20
前田恵祐

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