「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

Monthly Talk/01 Oct 2016



 小さい頃、今の時間を書いてみろ、と言われて「7:30」を書いたところ、大人に驚かれたことがある。自分としてはこれが慣れ親しんだ表示形式だし、これ以外の書き方も考えつかなかった。しかし、本来はこうである、と「7時30分」というふうに訂正されてしまった。デジタル世代だと言われた。デジタル時計の表示方式をそのまま踏襲していたからだ。


 今こうして大人になって、今度は絵文字のたぐいに馴染めない自分がいる。文章表現において感情のニュアンスは出来うる限り文字の使い回しで表現できることが上級な文章であると思うし、またそれ以上は読み手の想像力でもって、それぞれにそれぞれの理解のしかたをすればいい、と思っている。今の人はやっぱりデジタル化が進んでいるんだなあと思う。絵文字の類を用いて出来うる限り正確にニュアンスを与えようとしているのが分かるからだ。これをジェネレーションギャップというのだろう。


 デジタルと言われた僕ら世代にも当てはまることだが、デジタル化によってたとえば時を伝えるにも分単位、秒単位まで精密になった。あるいは細かくなった。文章にしても、絵文字などによって、ここは笑うところです、とか、悲しんでください、という、事細かな「指示」が行われるようになった。そのことで一つのタスクをより正確に遂行できたり、意思疎通が正確になったりと良い面は多々あるのだと思う。しかしその反面、小さいことに細かく、時にうるさくなりすぎている傾向も無視できないことではないだろうか。


 小さなことまで細かく、拘り、追求することで、たとえば日本の産業は発展してこれたのかもしれない。高い工作精度、細かな配慮や気づき、それらによる信頼性の向上などは確かにもたらされたかもしれない。デジタルのおかげというべきだろう。しかし、反面で、そこまで細かく考えなくてもいいことまで「ヤリスギ」てしまう傾向はないだろうか。


 木を見て森を見ず、という言葉があるが、木と言わず葉だったり草だったり、そういう末端の小さなものしか見なくなってしまった、今の時代そんな傾向はないだろうか。だから森を見るための大きな視点、視野というものが持てなくなっている。本来は、今目の前で起きているコトの意味を深く正確に捉えるには、目の前の出来事だけでなく、森全体、山全体を見なければならないこともたくさんある。


 人間はコンピュータではないのだから、もっと視点を大きく、高く採って、遠くを見据えたり広く見渡したりすることも大事だと思う。いかにコンピュータが発達したとは言っても、人間の「経験則」にはまだ及ばない部分もあるのではないだろうか。人間の知能や感覚や直観や経験による「見通し」によってさらに開けてくる世界もあるのではないだろうか。もちろん、その人間としての力、能力を身につけるには、じつは、細かいことの積み重ねが大事だったりするわけだけれど。


 しかし、大きな視点、視野を持つことを目的の一つに据えているのと、ただただ細かく小さな、瑣末な事柄に右往左往させられているのとではまるで意味が違う。物事や世の中を大きく広く見通すには、ただただ大きく構えていればいいというものでも、細かく小さくやっていればいいというものでもない。そのどちらも、感覚として具有していなければなるまい・・・


・・・そのことを、今の若い人にうまく伝えるのは、難しいんだろうなあ。人間の感覚なんていう曖昧なハナシはまったくもって非デジタルだから、そんな信用ならないモノのハナシなんか、というコトになるんだろうとオジさんは思う。





2016.9.22
前田恵祐

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