「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

Monthly Talk/01 Dec 2016



 僕は、他人と「お別れ」するのがまったく怖くない。ま、人付き合いは長く続けばそれもいいだろうけれど、長く続くことばかりが正解ではない。人は人と出会って、あらゆるものを吸収し、感じ取り、そして学ぶ。そうしたなかで、その「関係性」というものにも「アガリ」、「卒業」というタイミングも訪れる。僕はそのことに、比較的敏感、というか、素直に従っているだけのことだ。


 僕の、この種の原稿を読んでいただいていると、何事も数値上の値が大きければ、大きくすることができることばかりが、人生における正解や成功ではない、ということを、感じていただけている方も多いだろう。しかし、この人付き合いでいうなら「何年続いた」という数字に囚われる、ということは、テストで何点獲ったとか、数字が上がるとただただ嬉しくなるという単純すぎる馬鹿な日本社会のダメさ加減丸出しな、数値的価値観に毒されているということだと思ってもらいたい。問題はその内容やプロセスなのであって。


 もっと言いたいのは、「別れ」というものには、必ず新たな「出会い」というものがワンセットになっている、ということだ。大概、人は寂しくなると人恋しくなって新たな出会いを求めるモードに入っていく、という基本性質はあるとして、それだけでなく、そういう巡り合わせというものも自然とできてくるものだし、さらには、旧来の人間関係で得た「学び」に基づいた、「アップデートされた」視点や価値観で人を見ることができるようになるから、より充実した人間関係を築くことのできる人を探すことができたりもする。それが「別れ」というものがもたらす、計り知れないメリットだ。そしてそんな時には、別れた相手にも、同様に「新しい時間」が訪れる、というメリットも発生するわけで。


 所詮人間には永遠の命はなく、今生における出会いはいつか、全て手放す時がやってくる。そんな時の事を思うと、僕は適切に出会いと別れを繰り返して、適切にアップデートを繰り返し、より成熟したモノやヒトへの見方を会得できていたほうが、最後の最後における充足度が違うと思う。あれをやっておけば、ああいう人と付き合っておけばよかった、みたいな思いは、あまりしないで終われるんじゃないだろうか。そのためには、やはり「別れ」を惜しまないことだ。


 出会いと別れ、とは、運命であり、摂理である。そして、別れたしても、自分にとって、相手にとって必要な「ご縁」であるなら、その「ご縁」力が二人をまた戻してくれることもある。誰に仕向けられるでもなしに再会することだってあるでしょう?。その点も僕はお任せ状態。ご縁のない人とはテキトーに離れて行くし、ご縁あってお付き合いしていても、いずれ終わりはやってくるし。その時のために、センサーフル稼働、無駄な付き合いにはしない、という覚悟を持って付き合う。男の場合も女の場合も同じ。


 それが、悔いなく人と付き合う、ということなんじゃないだろうか。いずれ終わりが来た時のことを思って付き合う、ということだ。


 なんとかして長期間、数字を伸ばすために長く付き合わなきゃいけない、そのために、なんとか仲良くしなきゃいけない、好きになれるところを探さなきゃいけない、ねばならない、そういう付き合い、人間関係に陥るでしょう?。それ自分にとってもツラいし、相手も追い込む。基本的に相手の自由にさせたほうが相手の本質も見抜きやすくなるものだし、自分の視野にもあまりバイアスをかけないほうが、正しいサイズで事実を見抜ける。


 だから、初対面の人に、僕は、何も期待していないし、ただただ、自分がその出会いや会話から得た感想に直観的に従う。で、後日、それは数日後でも数年後でもいいが、やっぱりダメだったな、という判断を下すことに躊躇しないことを心に誓っている。だから、相手にもそんなにのめり込まないし、相手からもそんなに入り込まれないという距離感を保てたりもしている。全然孤独じゃないし、まあ、世の中の常識からすると孤独な人なのかもしれないが、全然そんな気はしていない。ちゃんと友達もいるし、いつでもお別れできる友達が何人も。何人かは。


 だから、嫌われるんじゃないか、という気持ちにもかなり免疫のある方だと思う。嫌われること、大いに結構。そしてさっさとサヨウナラでいい。合わない人というのはいくらでもいるし、それと僕の場合お別れに際して僕のなにがイヤと思われたのか、という考察は持っておく。でないとアップデートというものがないじゃないか。けれど、こういう思考回路を持つようになって、僕はまったく人間関係で悩むことはなくなった。


 人は誰とでも、まんべんなく仲良くしなければならない。「トモダチ100人できるかな」・・・これも国や常識や学校が教えた大ウソの一つだと思う。これのせいで多くの人が人間関係に大きな苦労を抱えている、もっというと、そのせいで精神疾患になったりとか、時に殺傷沙汰にまで及んだりすることだってあると思う。嫌われて、イイんですよ。そのときは、「こりゃ失礼しました」といってオイトマすればいいだけのこと。そんなこといくらでもある。


 場合によっては、「誰とでも仲良く」式に相手が追いかけてくることもある。そういう人ってほぼ100パーセント、「学校や会社における『優等生』だよね」。優等生であることを誇りに思っているタイプ。誇りにかけて「みんなと仲良くしなくては」的な。だけどもうそこは完全にミュートしちゃって、僕は徹底的に避けます。ていうか、僕もこういう人なんで、そういうトンチンカンな人は、もはや寄ってこないというのは、あるわね。でもたまにニオイをかぎわけられない「理屈優位」の人も、この世の中未だにいる。


 そうした「お別れ観」から何が得られるか。何より、「快適」じゃないか、人間関係が。無駄な悩みとか苦しみを抱えることなく、快適な人と一緒に居ればいいだけのことだし、それを実現しようとしているだけのことで、ここではそのためのワザを少々ご披露したまで、というコトですね。言い換えるなら、クォリティオブライフ、QOLってコトですよ。人付き合いは磨き砂のようにもなるし、ダメで傷だらけになりそうな前にサッサとお別れする、それができるような下準備もしておくといい、ということだよね。


「ずるい生き方」だって?


 そういうことを言う人とは秒殺でサヨウナラだね(笑)。




2016.11.30
前田恵祐

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