「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

Monthly Talk/01 Mar 2017



 僕は元来へそ曲がりという性格もあるのだが、ヒトと同じ、というのはできるだけ避けたいと思っている。同じ服、同じメニュー、クルマ、その他諸々。あまりたくさんばらまかれた物を身につけたり、あるいは、そういうものを嗜好したりすると、「自分は一体誰なんだ」と思ってしまうようなところがある。


 人と同じ、というのは安心かも知れない。多くの人が選んだモノというのはそれなりに信用してもいいかも知れない。しかしそこには自分の考えや価値観というものが存在しないチョイスになってしまう。


 人と同じ、みんなが選んでいる、モノ、あるいは手法、考え、を踏襲するというのはラクだと思う。自分で検証をせず、あまり深く考えずに選択するというのは時短でもあるから、合理的だと思う人がいてもおかしくない。しかしそこで生ずるのは、僕の大嫌いな「思考停止」というヤツだ。考えることを止める、止める理由を見つけながら現代人は生活している、日々生きているように僕には思える。その最たるところがモノ選びや価値観だと思う。


 これだけ、インターネットなどで情報が溢れ、「皆の選択」にまみれて生きていると、どうしてもそれが指標のようなものになってしまいがちなのかもしれない。スマホを常に弄くり、機敏に情報を掴んでいるかのように見えて、じつは、自己の放棄というものを行っているに過ぎない、僕にはそんな風に見える。情報というものは鵜呑みにするものではなく、得てから一手間かけて、検証検討をしてはじめて自分の中に取り込み、解釈をする、ということをやらないとすぐに「自分」はどこかへ行ってしまうだろう。


 そんなあたりが、じつは現代人の「自信のなさ」につながっているんじゃないかという気がしてならない。自分を持てない、常に、他者や情報に左右され、流されるように日々を生きている、そんな生き方をする中に自分自身を見つけることは困難だろう。ましてや、「皆の選択」の「皆」だって、必ずしも自分自身を全幅に信頼しての選択というより、やはり他者や情報に則って選んでいるに過ぎない、それさえ、間接的にわかってしまうから、さらに疑心暗鬼は深まる。


 情報化社会というのは人間を平準化させ、さらに、本来、頭脳や感情や価値観や人生観を自らの軸に据えて強く生きられるはずの人間から、そんな「生きる体力」のようなものを奪っているのではないか。よく、情報はサービスであるかのようなもっともらしいことを言われたりするが、それはサービスというより情報を過剰に供給することで得る商活動による利益のほうに重きが置かれているにすぎない。人間の、他社や世の中や情報が「気になる」という弱い面に漬け込んで商売にしているに過ぎない、それだけのことだ。


 現代人が、自分を「鍛える」には、そんな過剰に溢れた情報や、他者のことや、世の中のことから、少しならず離れることから始めるべきではないだろうか。本当に、そうして日々もたらされる「インフォメーション」が、正しいかどうか、というより、自分に役に立つのかどうか、必要なのかどうか、という検証から始めてはどうだろうか。


 過剰に拒絶反応をする必要もないし、ヒステリーになる必要もない。もう少し、冷静に落ち着いて物事に「分別」というものを持てるようにならないと、自分の中の太い柱、自信の根拠ともなるべき自分軸、価値観をきちんと育て、それを行使していくことはとても難しいと思う。


 だから、他人やテレビや、インターネットの言うことは、「それはそれ」。だから、僕がこうしてあれこれブログで書く事も「それはそれ」くらいに思ってもらうのがちょうどいいんじゃないだろうかね。どうかね。





2017.2.17
前田恵祐

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