「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

【書評】非常識な本質/水野和敏(著)



フルタイトル
非常識な本質――ヒト・モノ・カネ・時間がなくても最高の結果を創り出せる


 クルマやクルマに携わった人の本は数多出版されているが、こと、クルマに携わった人が自らの人生訓を元にビジネスの方程式を説いた本というのは実に少ない。冷静に仕事として自動車ビジネスを参照することができていないのだと思うし、そもそも自動車という商品の「本質」が「パッション」だから、それはしかたがないことかもしれない。しかし、水野さんがこの本を出せたのは、彼が日産自動車という会社に入り、その組織の中で自らを育んだからだと確信する。


 この本の目的は、あるいは数多あるビジネス書の目的は、数式の答えを示すものではなく、あくまでも参考となる方程式の提示に過ぎず、それは「示唆」の域を出ない。しかし多くの読者、あるいは読者の持つ想像力やニーズは「数式の答え」を求めるという傾向が過剰であり、はたしてこうした著書が著者や編集者の目的通りに読者へ浸透するかは甚だ疑わしい・・・ということを、強烈に意識しながら水野さんはこの原稿を書き、編集者もそこに骨を折った痕跡を見て取れる。


 何かを読めば、あるいは然るべき勉強努力をおこなえば答えは出る、というのは「常識」という名の思考停止である。水野さんは、じつはこの本でそのことを訴えている。課題に対する明確な答えが用意されている環境で、決まりきった勉強をし、その到達度を持って人間の価値を決するという学校教育に疑問を抱いていること、そもそもその学校教育にまったく馴染むことができなかったことは私と水野さんの共通点だ。


 私は、無意識のままに行われている従前の踏襲や、この国の指導層にとって都合の良い統制意識のもとに流される情報やニュース、報道など、いわゆる世間の常識というものに懐疑的だ。しかし、そんな非常識な思考や思想を持てばこそ、常識と非常識の間を行き来するものだし、強烈に常識というものを意識しながら生きたり発言したりもする。しかも時に世俗側の人間から「攻撃」の対象にされたりもする。具体的には会社で村八分にされるとか、パワハラを受けるとか。


 そんな苦い経験を、「非・常識人」たる水野さんも、日産で大いに経験されている。長年の会社勤めを経て、フリーになられてこの本を出した。だからこそ美談で語られている面もあると想像するが、多くの会社員が陥る企業理論に真っ向から意を唱え、自らの正当性を主張し、それを実行し、成就させてきた苦労は並大抵のものではなかったはずだ。その点でも、私は「非・常識人」の後輩として、この本をバイブルにしたいと思う。


 はじめ、私はこの本を、「P10プリメーラやGTRの開発秘話」を読めると思って期待した購入したが、その期待は大きく外れ、というより上回り、日産自動車という「常識的な」大企業に身を置いた「非・常識人」のめでるべき成功事例として賞賛したい素晴らしい書だと思う。


 むろんプリメーラの誕生秘話にも多少触れられてはいるが、それはあくまで伏線でしかなく、「あのクルマは、この人がいて、そして生まれるべくして生まれたのだな」という感想を持った。


 もう一つ申し上げるなら、やはりY31セドリック/グロリア/シーマの誕生経緯との相似点だろう。Y31がヒットしたのは、ひとえにそれまでの常識のワクから抜け出すことの出来た数々のブレークスルーによるところが大きかった。Y31ハードトップの役員承認が降りたデザインを独断で変えてしまった若林デザイナーや、営業畑で経験を積んできた三坂主幹の、企業理論ではないクルマの本質を見抜いた思考回路、あるいは熱意、そうしたものが縦割り組織だった会社を変え、元来優れていた日産の「技術」と、顧客を喜ばせるというもうひとつの思考軸を持つことで数々のヒットを飛ばした。社内の「常識」が変わったからだ。


 日産にはそうした優れた「人材」が、そもそもたくさんいるのだろう。しかし悲しいかな大企業のサガでリベラルと保守の社内闘争は常にバランスが取れているわけではなく、必ずどちらかに傾いている。そしてどうしても指導層は保守派だから、よりクルマ本体と顧客に距離の近いエンジニアや営業の声は、会社組織の経営の名も下にかき消され、踏み潰されていく。


 しかし、保守派がいなければリベラル派はリベラル派ではいられない。日産自動車に入社した水野さんでなければ水野さんのこれまでの活躍があったかどうかはわからない。日産自動車という保守派が強い会社に入れたからこそ、水野さんはこの本が書けたのだと思う。




前田恵祐





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