「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

ヒトとしての基本機能にかかわる問題

日産、自動運転システム開発に向け公道実験開始、ナンバープレート取得 (2013.9)


http://response.jp/article/2013/09/26/207244.html


 自動車という製品の最終進化型とは「自動運転」であろう。人は自らの足から乗り物を得、その乗り物は文化と共に進化し続けてきた。そのうち人間の脳波をキャッチして人間の意志を理解し、口に出さずとも、ボタンを押さずとも勝手に目的地に連れて行ってくれるクルマが、もしかすると誕生するかもしれない。自動車の究極のカタチだろう。


 人間は考えるまでも、思うだけで良い。もちろん乗り込むだけで他に身体を使う必要がない。頭も身体も使わなくなる。するとどうだろう、人間の機能は退化してしまいやしないか。頭は使わなくなると馬鹿になるし身体も使わなくなると体力がなくなる。


 乗り物と人との関係は、今後そうしたテーマをはらんでいくことだろう。今はまだ自動車の操縦に人間の意志と動作が明らかに介在しているからいいが、例えばスマートアシストやスマートストップのようなものはいわゆる自動運転の先駆けとなっていくだろう。私が現役の運転者としていられるうちに完全自動運転が実用化普及するかどうかはわからないが、こういうものがどうもしっくりこない、と感じている時点でもしかするともう時代遅れなのかもしれないなと思う。


 自動車は誰が操ろうと重力と遠心力に逆らって動いている。自動車という乗り物に乗るということは、本来なら人間の生身では受け止められないような遠心力の中に身を置くことを意味する。それを忘れたら自動車やスピードのリスク、危険を忘れることを意味する。むろん、自動運転は事故のリスクさえ未然に回避してみせると声高に言うだろうが、しかし、もしそれが故障をしたら・・・。想定外の出来事が降りかかったら一体誰が責任を持つというのか。


 その意味で、私はやはり乗り物を操る主体は人間であって、そこに発生するリスクを理解し、意思と動作を操縦に介在させることが重要だと思える。


 弱者の為? 老人の為? それは自動車ではなく、人間の手と心でささえてあげればいいことではないか。人はそうして弱者や老人を思いやるということをしてきたのだし、いかに健常者であろうと歳もとるし、いつ何時不幸が降りかかって弱者にならないとは限らない。そんなことを思いながら「介護」というものは施されるのだと私は思うのだけれど。


 機械の進歩は時に人間を退化させ、思考を停止させるリスクがあると、ここでも何度か書いてきた。機械そのもののポテンシャルとして自動運転にチャレンジするのは意味のあることだとは思うが、それが人間をアホにさせないようなカタチで活かして欲しいものだとつくづく思う。






前田恵祐



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