「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

目標の行方



 現代の日本車にはいわゆる駄目グルマというものがなくて、目的をきちんと見定めてさえいれば本当にどれを買ってもハズレはほとんどない。機械的な完成度は高く信頼性も、まあこの点は時間が経たないとわからないけれど、でも昭和50年代のクルマと比べたら飛躍的に壊れにくくなっていることは確かですね。壊れず内外装の仕上げ良く、イイモノを買ったなと思わせてくれる。そういう意味で、少なくとも日本の自動車ユーザーは一様に「充足」している状態といえる。しかし逆に捉えれば新しいものを生み出そうとか、それを欲するマインドはかなり弱いと思ったほうがいい。


 トヨタ自動車はかつて、これから日本が戦後復興を目指そうという時に、「大衆のための乗用車をつくり、国を豊かにする」という目標を立ててクルマ作りに邁進した。そしてその精神や彼らの努力に多くの国民が共感し納得したからこそトヨタは大きくなれたとも言える。しかし、”クルマ”がもはや人を”充足”させてしまい、しかもクルマから新しいマインドを作り出せないという、じつは閉塞的な現代にあって、「大衆のための乗用車をつくり、国を豊かにする」はもう終わった価値観であり、使命を尽くしたと言える。クルマは日本人にとってもはやベーシックな生活ツールになりおおせているわけです。


 そうなると簡単に新しい”目標”を作り出したり探し出したりすることはできにくい。その意味で、今、自動車は曲がり角にあるというふうに思うわけです。


 現代のクルマの一番の目標は売上です。自動車会社も慈善事業ではないからちゃんと利益を出して社員を養い、将来への投資も行わねばならない。その意味で自動車ビジネスの根幹は、というより、ビジネスの根幹は誰がなんと言おうと売上であることに間違いはないわけです。そこは否定しない。不況のあおりを受けて、極度に売上主義に走ったという背景もよく理解できる。生き残りをかけてね。それが故にクルマ屋としての崇高なポリシーよりも顧客の声や顔色の方が大事だと判断したのも、経緯としては自然な流れだったでしょう。しかしそろそろこの、ステレオタイプで八方美人、愛想笑いのクルマばかりと付き合わされるのも、私のみならず食傷しはじめているんではないだろうか。


 客の顔色を見て仕事をすることはとても大切なことです。しかし同時に自動車は本来人の命を預かったり、自己を表現したり、時に高いお金を投下する憧れであったりと、様々なファクターを内包する高価な商品だから、その意味で極度に大衆的、あるいは世俗的なクルマ作り、噛み砕いて言うと、愛想笑いのクルマ作りにも限界がある。あるいは、客の顔色を見すぎているがためにクルマは成長できなくなってしまっているとさえ思うわけですね。


 誤解を恐れずに言うなら、これからはもっと「目に見えないもの」を大事に、あるいは信じて、クルマを作ってもらいたい。客に好かれたい、金を巻き上げたい、という底意は、じつは伝わると思うんですね。クルマ屋として、クルマのプロとして、ここは譲れない、こうすることが正しい、という専門家としての矜持を見せつけるような心意気を持って欲しい。そしてそれもちゃんとユーザーには伝わるはずです。


 だから最近のマツダのやりかたにはどうも胡散臭さを感じてイヤなんですね(いつもマツダばっかり論ってごめんね)。確かにスカイアクティブはすばらしい考え方と完成度と成果を持っている、そこは認める。けれど、大したデザインでもねえのに”マツダデザイン”と誇張してみたり、大してイイ足してるわけでもねえのに”走りがいい”だなんだと、なんですか、「ブランディング」ってヤツですか、もうそういう客の気を引こう、誘導しようってのがウザったいんですよね。四の五の言わずに乗れば納得するというクルマ作りをするべきじゃないか、とくにマツダみたいな弱小メーカーは。


 最近情報解禁されたタイプR某も、どうなんでしょうね。ニュルで何秒で走ったとかいろいろ額面を並べてますが。このひとつ前のタイプRに試乗したら、これがヒドかった。レーシングカーでさえ、足を綺麗に動かしてロードホールディングすることが即ち勝利に繋がるというのが定説にもかかわらず、ガッチガチにアシ固めて、マトモに会話もできないくらい揺すられ続け、しかもエンジンというよりギアレシオは6段に切ってあるのにワイドレシオすぎて、エンジンの美味しい楽しいところを常用するにはレースに出るわけでもねえのにサーキットに行くしかないと。これで一般道を走るのは「苦行」に等しい。なんにも嬉しくない。これじゃあタイプRのエンブレムを何百万で買うのと同じことだよね。で、開口一番ニュル何秒とやっている新型もこれと同じなんじゃないかと私は睨んでます。


 でもこれ、みんな客がそれを要求するからそういうふうに作るんだよね。とにもかくにもニュル何秒という額面、スペック、あるいは見出しの方が大事であると。もうニュル専用。お前はドイツ人か。中卒の私だからいいますけど、これ学歴社会の悪弊、ホントそう思いますよ。”ニュル”とか”何秒”とかそういうところしか日本人は見ていない。履歴書しか見ていない面接官と同じね。額面やスペックからは見えない、実用に供して発揮される実力やパフォーマンス、魅力、性格、そういうものをもっとちゃんとすべきだと思うんですね。人材も自動車も「実用品」なんだから。あるいはそこをいつまでもちゃんとできていないのが日本人とも言える。学歴が高ければ多少性格がイビツでも満足できちゃうと。


 それはもちろん、スポーティカーだけのことではなくて、ふつうのファミリーカーだって、例えば運転席からの視界と車両感覚把握の容易性をちゃんと煮詰めるとか、何度も言うけどブッシュで小手先に誤魔化す=眠くなるアシのセッティングをヤメるとか、無駄に天井が高いばかりで走りが危なくてしょうがない軽自動車とか、どこに向かって大砲ぶっ放してやがる、というクルマはそれこそ枚挙に暇がない。クルマのプロとしてのプライドにかけて、「これが正しい自動車の姿だ」というものを見せて欲しい。


 それが過剰な顧客主義から脱却するための目標の行方を示しているんではないだろうか。


 それは即ち、自動車という商品の地位を向上させるものだと思いますよ。客の顔ばっかり見ているから低俗なものに、自動車は今、なりおおせてしまっているけれど、自動車というのは素人が作れるものでは本来ないし、素人ではない即ちプロフェッショナルの見識を示してこそ、改めてクルマは人々からリスペクトを受けることが出来るはずなんです。そして、そのリスペクトすべき製品にこそ、高いお金を払ってもいいと思うようになる。これこそが作り手にとっても、また買う側にとってもそれぞれに利益となる関係のありかたではないんだろうか。





前田恵祐
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