「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

人間、クルマに、機械に追い詰められる



 自動車の運転に際して人間の占める領域や割合は年々小さくなっている。簡単に言うと各部のオートマティック化が進んでいるということになるのだと思う。クルマの運転、とりわけクルマ好きがクルマを運転する時には、ある種の高いハードルにチャレンジして征服する達成感のようなものがあって、それがひとつの拠り所になっているようなところがあったように思う。しかしそんな思いとは逆行するように自動車の運転はオートマティカルなものに突き進んでいく。


 あのポルシェでさえ、トランスミッションは現在PDK=2ペダルオートマティックが主流。ドライビングに人間の要素を減らしていく傾向はやはり顕著だ。クルマ好きはある種のハードルにチャレンジしたいという気持ちを持ち続けているようなところがある。クルマがそこまでカバーするなら、ならば俺はそれを上回るところまで、というふうに、なんとかクルマを屈服させ、自らの征するところにしたい。しかしいけないのはオートマティカルなクルマが実現するスピードはもはや人間の力でコントロールできる領域を逸脱するところに達しているから、極めて危険なところに限界との境目が存在しているということにもなる。結果として、人間は機械の進歩に追い詰められている。


 自動車評論家、森野さんの死亡事故をみるにつけてそんなことを考えさせられる。


 そもそもターンパイクという一般道でどれだけの速度に達していたのかという原則的な批判はあるにしても、GT3の限界を見たい一心であの急な下り坂をカッ飛んでいたに違いない。その気持ちはクルマ好き、運転好きの根底に流れているスケベ根性のようなものだ。ポルシェGT3の限界とはすなわちある種の頂点であるから、そこにチャレンジする、したい、というのはポルシェ好きにとっては止められない心理なのだろう。


 いったいどこまでスピードを追求すればいいのか。自動車でスピードを出して移動することに、リスクを伴った高速移動にどれだけの意味があるというのか、という議論はおこなわれるべきだろう。反面、ポルシェという商品の性質はスピードマニアのための玩具から、お金持ちのための高級アクセサリーのような存在に変化しつつもあると思う。あり余る性能はいつでも取り出せる潤沢な貯金のようなもので、それはすなわち富みの象徴でもある。多くのポルシェはこの日本で合法的に使われていると仮定するなら、その貯金のありがたみでもって走っているようなものだ。それが実情というものだろう。


 だから、自動車評論家がGT3を全開走行させて限界領域にタッチすることを、たぶん読者は求めていない。僕は彼の原稿を端から端まで読んでいるわけではないからなんともいえない部分ではあるが、彼が死のリスクを冒してまで一般道での危険走行に立ち及んだのは、恐らくや読者のためを思ってのことではなかっただろうと想像する。自動車の運転とは自己満足の領域。そしてその自己満足の領域を極めて高い位置に押し上げてしまったのもまた自動車技術なのである。


 森野さんはハイスピードドライビングのリスクを身を持って示す結果となってしまった。クルマはオートマティカルに速くなり達成速度は高くなる一方だが、だからといって人間がしくじった時のバックアップが万全かというとそういうわけではない。だからこういう事故が起きる。やはり自動車による高速移動には限界がある。クルマの側がいたずらにレベルアップしても、人間がそれに追いつけていないという問題もあるだろう。人間が制することのできる速度なんてたかだか知れたものなのだから。


 僕はクルマ好きだし運転好きだが、その目的はスピードではない。この複雑怪奇な交通社会の中で十全に安全を保ちスムースに周囲との調和を図りながら無事に目的地に到着するところを目的、目標としていて、そのことをいかにまっとうできるかということにチャレンジすることにしている。やってみるとあらゆることに無頓着ではいられなくなり、これはこれでけっこうくたびれる。けれど充分に楽しい。僕は自分なりに新しい運転の楽しみ方を見つけ出しているつもりだ。運転の楽しさ=スピードの高さという古い固定観念を早く捨てておしまいなさい・・・これを読んでくださっている読者の方々には強く申し上げておきたい。



 森野さんのご冥福をお祈りいたします。





2016.4.18
前田恵祐

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