「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

2011 エンドトーク


 
 あの大地震に見舞われた数日後、老人はこう言った。


 「津波で我欲を1回洗い落とす必要がある」


 波紋が波紋を呼び様々に報道され言葉の原型も捜しに探してやっとたどり着いた。この発言にこだわる理由は、単純にその時に私自身、我が意を得たりという心境に到ったから。この国の人はいつの間にか自分のことしか考えなくなり、品位を失い、清く潔い生き方を放棄した。


 自動車はその国の人々を示す鏡である。とするなら、やはり日本人のアイデンティティは「我欲」のようなものに成り下がっているといわざるを得ない。過剰なサービス、デコレーション、アクセサリー。家は陳腐なのにクルマだけは立派というのは誰がどう考えてもアンバランスだ。家より簡単に見栄を張れる、他人に差をつけ上を行ける(そう思い込める)道具、それがクルマ。またそれにつけ込めるとわかりきって利益主義に走るのが自動車メーカー。


 エコカー、ハイブリッド、電気自動車は何のため。カタログ数値(=売るための材料や自慢の種)を競いはするが、それがどれだけ役に立っているのか、実益となっているのか。これだけクルマが地球環境に悪さをしているといわれ続けているにもかかわらず、作っている側も買う側も、クルマだけしか見ていない。


 その象徴は、今年のカーオブザイヤーに尽きる。”あの津波”に飲まれて放射能までばら撒いた発電所、そのために節電節電と大騒ぎしている、ましてやそれに代わる”次世代”発電も確立されていないどころか、着手も遅れに遅れているこの国において、にもかかわらず、なぜ100%電気自動車が今年のクルマ、たりえるのか。恥を知れと言いたい。


 ニュース番組は被災地でクルマ不足に陥っていると報じていた。ある被災者の言葉が記憶に残っている。


「クルマ、あれば、動いてくれればそれで良いんです、生きていけるんです・・・」


 少なくとも被災地におけるクルマに対する考え方、価値観、見方ははっきりと震災前と変わったはずだ。生きていくための営み、あるいは時として命を守るサバイバルセルとして考えた時にクルマに、果たして何が必要であるのか。華美に飾り立て虚勢を張るアクセサリーやただ不精をするためだけの過剰なサービスや装備がいかに無意味で虚しいものであるか。どういうものが必要でどういうものがそうではないのか、私たちは真面目に考えなければならないし、今まさしくその時が訪れていると思う。


 見栄は張りたいがその実貧乏、というのが今の日本人である。ならばもう見栄は捨てなければダメだね。さまざまな情況が「見栄を捨てなさい」といっている。すくなくとも自動車という道具はもっと、自動車だからこそ得られる機能やありがたみの本質を見抜いていかなければなるまい。そしてそれを実直に、安く提供する。大借金をしてまで獲得すべき商品ではない。日本の自動車産業の原点に帰る時が、やはり、今まさに訪れている。それには第一に大きく立派になりすぎたサイズを是正し、軽く丈夫で経済性に優れているということ、そして大事なのは、利便性という名の”良心”と、なろうものなら、一緒に居て億劫にならない愛嬌の良さだろう。


 いつかこのBLOGにも書いた近所で大事にされている”スバ3”は未だに健在である。ついこの間も威勢良くうすらデカいエコカーを追い回していた。





前田恵祐


.

拍手[0回]