「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

2010 エンドトーク




 日本人にとってクルマは生活が豊かになった証拠のようなものだった。そもそも自動車という道具すら知らなかったものが国外から持ち込まれその利便性に着目するとたちまちのうちに国家を挙げての一大産業になっていった。






 自動車のある生活が憧れ。マイカーがあることだけでも贅沢、そんな時代もあった。その頃のクルマは、やはり人々のクルマへの考え方を反映していて、あるいは、生活観そのものを体現していて、今よりもっと質素でシンプル、最低限の機能があればそれで充分満足していた当時の人々の生き方や考え方がそのままクルマになっていた。



 やがて日本は裕福な国になっていき、クルマはある種の富の象徴、成功の証、あるいは自己表現の道具としての役割も担っていく。性能は高められ豪奢な飾り立てがなされ、そして価格は上昇した。同時に日本車の信頼性は世界で認められていく。



 そして今。クルマは売れない。クルマ離れと呼ばれる現象が叫ばれ、国民にとってクルマは以前ほど重要な存在ではなくなったかに見える。もう、そこにあるのが、そばにあるのが当たり前。あるいは、無くても生活できるくらい、特に都市部では交通インフラが整っているという側面もあるかもしれない。この50年だけ見ても、日本の自動車をとりまく環境は激変をとげてきた。



 時代は不況である。というより、個人的には、ゆき過ぎた贅沢を改め、余分なものをそぎ落とし、身の丈に合った生活を取り戻すための時代、というふうに認識している。筆者はいたって貧乏だが不満は無い。今までが贅沢すぎたのだ。あれこれとモノに囲まれ、モノに溢れ、おぼれていた時代は、様々な事情を伴って過去のものになりつつある。



 単純に、個人的な移動手段を考えたときに、自転車では山坂のある地形のため厳しい。ではスクーターはどうかというと長距離が不可能だし荷物も積めない。寒いときは寒く、暑いときは暑い。そう考えたときに、雨風しのげて最低限の人と荷物を載せることが出来れば、自動車はそれで充分、という考え方に落ち着く。それで充分。それ以上必要ない。クルマを必要とする理由の根っこを見直すとこうなる。



 本当にナビゲーションは必要なのか、革張りのシートである理由は何なのか、エアロパーツとは何のために存在するのか・・・



 クルマはもう一度「必然」に立ち戻るべきである。



 その上で、クルマを駆る楽しみは否定しない。クルマは人に羽を授けてくれる。自由に、思い通りに走れる気持ち良さはやはり人間が生んだ自動車という道具によって人間だけが味わうことの出来る快感である。



 現代のスポーツカーはとても性能が高められ、価格も高価になり、そのスポーティさを運転操作で味わい楽しむというより、その高められた性能や機能を「保有することの喜び」において君臨しているに過ぎない産物と化してしまった。そもそも途方も無いスピードやパワーをこの国のどの場所で発揮するのか。いくらクルマが速くなったからといって人間の運動神経や動体視力はすぐには高くならない。単なる宝の持ち腐れと誰も言わないのはおかしい。



 MR2のようなサイズのスポーツカーを日常使用している身とすれば、やはり自分の判断、裁量、腕の範囲でコントロールできることが何より嬉しい。電子制御デバイスで塗り固められ、ハンドルとギアシフトとペダル以外はすべてクルマに丸投げというようなスポーツカーを、果たして本当にスポーツカーと呼んでいいのかは心底疑問である。



 百歩譲って、所有することが喜びというスポーツカーは、心で喜ぶ商品である。しかし、筆者が思うのは運転操作やそこから得られる感覚や動きを五感や細胞に受けながら走っていくという種類のものであって、やはり喜びの種類や深さ、大きさ、あるいは運転した後の満足感は大きく異なると思う。ま、どちらかというとこちらを好む、というだけの話しだが。



 トヨタはFT-86という新しいスポーツカーを計画しているというが、これがどうも久々のスポーツカーとあって、気合が入りすぎているように見えるのが気にかかる。もはやガソリンを撒き散らしてまでスピードを高め、タイアをすり減らしてまでコーナーリングタイムを削るという時代ではない。その”必然”は消えうせてしまった。FT-86はどうもその「消えうせてしまった」方向に進んでいるように見えてならないのだ。






 最高速をことさら求めなければガソリンも食わない。コーナーリングスピードをことさら求めなければハイテクデバイスも必要ない。よってクルマは軽くなる。さらに燃料は食わなくなる。その上でこれからのスポーツカーに必要なのは、人として、自分の力でコントロールできている、という実感や喜びを与えてくれ、同時にエコで安全であることだ。やはりここで立ち返ってほしいのは”身の丈にあった”スピードであり、性能であり、また価格である。AE86とはまさしくそういうクルマだったではないか。もっと突き詰めて、ヨタ8のようなスポーツカー像があってもいい。それくらいのことを考えていないとダメだ。






 これから日本はもっと貧乏になっていくだろう。一発逆転を狙えるなんて思っていたらそれはとんでもないおごりだ。むしろ、小さな島国として、独自の文化や生活習慣というものがある。慎ましく謙虚さがある。それが日本人の美徳であり品位でもあった。自信を持って清貧(清品)の心を取り戻すチャンスだと筆者は思う。それが日本人の”身の丈”というものだ。






 2010年はそれまでの方向性が少しずつ改められ、無駄を廃し、より必然性が内在するクルマが登場した。ポロやスイフト、フィット(今年はHV)、マーチ、ヴィッツのようなクルマはこれからどんどん伸びるだろうし、来年登場するマツダの新技術も興味深い。また優遇税の問題はあるにせよ軽自動車の進化もまたしかり。あるいはCRZのような新しいスポーツカーを模索する動きもあった。動きはバブル期を知る身としては遅い、と感じなくも無いが、国内メーカーもそれなりに考えて行動を起こしているのだと感じさせられた。






 正直言って、贅沢なことは言っていられないし、やってもいられない。そろそろそのへんの”時差ぼけ”にメーカーもユーザーも気がつき始めたか。課題山積の自動車メーカー。彼らがその難局をどう乗り切るか、そのなかでどんな魅力ある商品を誕生させるか。メーカーさんには、来年も期待していますから、とだけ最後に申し上げて筆をおこう。



 今年も一年ありがとうございました。







前田恵祐


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