「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

気持ちの小回りまで効かなくなったらお終いだ


久々に軽自動車に乗って・・・(2012.7)



 私は「軽自動車は日本の財産だ」と書いたが、そう思っている自動車メーカーは少ないように見える。日産が三菱やスズキと組んだ、トヨタがダイハツを売る、それぞれにしても、それはシェアを伸ばす軽自動車のタマを揃えて自社からの「流出」を食い止めたいが為のことだ。どいつも本気で軽自動車を考えていないな、と落胆させられる。


 本気で考えていないことくらい、乗ればわかる。骨格だけおおまか決めておいてあとは装飾と色付けで目先を変えているだけに過ぎない。それは店先に並ぶロリポップのようなものだ。肝心の自動車としての機能は、やれエコカー減税だ燃費だと、もっともらしいことを謳ってはいるが、ドライバビリティを完全に無視したエンジン、このまま高速で横風に煽られたらどうなるんだと心配になるような足、おぼつかないハンドル・・・はっきり脆弱といわざるをえない。


 誤解して欲しくないのは、それでも私は軽自動車は日本にとって大きな財産だと思っているということだ。それはこれだけ小さな自動車をこれだけの生産効率で安く大量に提供できる国は、他にないからだ。しかし、だからといって、その商品性やクルマとして重要な運動性に妥協があってはならないとも思っている。


 スタイル・・・どうしてこう、皆同じような形をしていなければならないのか。それはアイデアがないのも一因だろうし、このカタチの骨格をベースに車種を増やすことが合理的であるということも一因だろうし、あとひとつ言うならユーザーが、それでも何も言わないからだろう。もっと小さくてかわいらしいのがいいんですけど・・・どうして軽自動車にパーソナルカーはないんですか・・・誰も疑問に思わない。言い換えれば日本人はいかにも従順で与えられたものに満足する人種である、ということが軽自動車、あるいは自動車を大きく変えられない大きな要因かもしれない。


 エンジン・・・660ccという上限を決められて、そのなかでやれることをやろうと考えて精一杯やっているのだと思う。しかし考え方を変えて、あの大きく重い箱型をやめればクルマは軽くなる。室内だって今ほど広くなくていいかもしれない。空力性能を多少は重視してもいいかもしれない。そうなると、エンジンにかかる負荷は軽くなる、それは実質の負荷もそうであるし、クルマ作りの上でのウエートにおいてもいえると思う。もしかしたら、車体を軽く、効率的な作りに出来たら660ccは必要なくなるかもしれない・・・かどうかはわからないが、しかしその可能性にチャレンジした人間は誰も居ない。やはりアイデア、創造力、想像力の欠如だ。


 足廻り・・・クルマとしての間取りがキチキチだからホイールハウスはどんどん狭くなる。その上、やれ安全だ何だと口先だけで五月蝿いものだからブレーキはどんどん大きくなりホイール径は大きくなる。すると何が起こるかというと、サスペンション部品にしわ寄せが行く。充分なゆとりを持った設計、ホイールの運動量、あるいはバネとダンパーのセッティングにも大きく影を落としていく。おかげで、やはりというべきか軽自動車のアシはダメである。モノによっては10年前より後退している。剛性感のないハンドル、グラリと来るロール、しかもなまじブレーキだけは強化してあるから重心の高い車体はちょっと運転をやり損なうとスッテンと転がってしまうかもしれない。


 私は、軽く、自動車として走行するための効率を高めるためならば、今の軽自動車はもっと不便になってもいいと思っている。そのかわり世界に誇れるような経済性と走りを両立した本物の経済車を目指して欲しい。ボディを小さく、使用する資源を少なくすれば軽くも成り燃費は改善する。小さくなって狭くなったって雨風しのげてそこそこ快適に目的地にたどりつければそれでいいじゃないか。そしてそんなクルマになろうものなら優れたデザインを与え安い価格で提供できれば、それはどれほど多くのユーザーの役に立つか。軽自動車が今時200万円である。しかし本当は200万円もかけたくないのだ。ほかにもっとお金がかかることがたくさんある。子育て世代ならなおのことだろう。


 もうクルマにカネをかけることが格好いい時代ではない。クルマはスマートに最小限。言い換えるなら「乗りこなすべき道具」なのである。見栄や世間体、欲望の象徴であったところのクルマはもう過去のものだ。高いクルマに乗っていてももう誰も羨ましがらない。しかし、そう思っても声に出さないのが日本人なのだろう。声に(文字に)出さなければ何も変わらない。クルマ離れ、と人は言う。しかしそれは人々の意思の行動だ。欲しいクルマがないのだ。しかし彼らは黙ってクルマを離れていく。







 クルマのことばかり考えているからあの程度のものしか作れない。視野が狭いから人の心を読み取ることが出来ない。軽自動車を作っている人たちが、気持ちの小回りまで効かなくなったら、それはもうお終いである。





前田恵祐


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