「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

リトル・パニックブレーキング


 子供の頃というと僕は自転車に乗るのがとても楽しかった。親や学校の言いつけを無視してロングツーリングにも出かけたし、備え付けの速度計の針を振り切らせたりハングオンでコーナリングを堪能(?)したりと、今思えばけっこう爆走チャリンコだったなと思う。でも自転車でケガをしたという記憶はあまり無い。危ない目にもあまり遭っていない、ような気がする。忘れているだけかな。


 そういうわけだから僕の自転車のタイアは良く擦り減った。多分一年と持たなかったと思う。下手すると半年に一度くらいの交換サイクルだったかもしれない。これはのちにリアタイアだけは一年持たないMR2を初代の愛車に迎え入れる伏線だったかもしれない。しかし、タイアが減るには過走行のほかにも理由があって、それは僕は一人でブレーキテストをよくやっていたんだよね。


 ブレーキは危険を避けるための重要な行動であり部品でもある。その認識は小学校に毎年訪れては交通安全指導をしてくれていた横浜市の交通安全指導員のナガシマさんの影響によるところもあるのだけれど、何より僕の興味の対象はタイアが路面を手放す瞬間をセンシングすることにあった。


 なんでそんなことに興味があったかというと、ここからがクルマオタクの血が入ってくるのだが、ちょうどあの頃、80年代後半付近というのはABSという装置が普及浸透し始めた頃で、僕はそのABSという装置に異様に興味を持ったのね。タイアをロックさせギャーーと鳴かせて止まるより最後の最後までグリップを維持し続けたままのほうが操舵を可能とし、また場合によってはより短い制動距離で停止できる。そのリクツを身をもって体感したかったわけです。


 ABSより前に「ポンピングブレーキ」なんていう作法がありましたね。あんなもの何の役にも立たないことはよーくわかっている小学生でしたよ、僕はね。ABSを自動ポンピングブレーキだなんていう大人もいたけれど、そいつもちょっと違うんじゃねーか、とは思っていましたよね、僕は。と、書けばどれだけブレーキングオタクなコドモだったかがよくおわかりいただけると思います。


 ブレーキをかけると前に重心移動が起こるからリアからまずロックする。これは自転車でのことね。だから、サドルの後ろの鉄柵みたいなところに座ってスピードを出したところからフルブレーキするとどうか。すると、これが面白いことに前がロックするわけです。やっぱりMR2に向かっていたね、この頃から。それにもちろん制動力のコントロールもいろいろやった。ロックする寸前、グリップの限界へのあくなき探求を続けたよね。そんなだからタイアも減ったし、ブレーキワイアの寿命も極端に短い子でした、僕は。


 ブレーキ後の、例えばブレーキパットを、自転車なら手で触れるわけですね。凄く熱いです。大人になってしまえば当たり前のことだけど、このことでブレーキというのは遠心力を熱エネルギーに転換して速度を殺していくのだと知るわけです。そうなると、やはり走り出した乗り物を曲げることより、止めることのほうが過大なエネルギーが必要なんだという、ある種の危険意識になっていく。幼児体験として。


 で、そんなコドモがオトナになるとどうなるかというと、自動車に乗るようになってこれまで二十年、パニックブレーキを踏むようなシーンに遭遇することはあまりなかった。むろん無いに越したことは無い。というか、なにも意図的にパニックブレーキをたくさん踏む為に子供の頃ブレーキの練習をしていたわけではないからね。ないに越したことは無い、という危険意識を醸成するための時間だったような気がする。


 ブレーキに関心を持てば持つほどに、できるだけパニックブレーキにならないような運転に成っていく。ネコやオッチョコチョイなババアが自転車で飛び出してくるかもしれない。そんな時パニックブレーキを踏まねばならない。クルマは止まっても間に合わないかもしれない。そんな意識を持っているから事前に危険を予見しながら走っている。今まで人様を巻き込まなかったのはただ運がよかっただけかもしれないが、子供の頃のあの関心の持ち方が今に生きているような思いもある。


 初めて自転車という「乗り物」に接することも多い夏休み、子供には自転車の乗り方とともに、止まることの大切さも、どうか教えてあげてください。







前田恵祐



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