「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

根無し草



レクサスがもう一歩に感じるワケ...(2012.3)



 私は、レクサスが存在する理由はあくまでもトヨタの都合でしかないと思っている。静かだし仕上げもいい、デザインの好みはともかくとして、機能としては充分以上だろう。しかし個人的にはレクサスは高級車としてイマイチだと思っている。どこか物足りないと感じてしまうのはなぜなのか。



 メルセデスベンツには100年近い歴史があり、長い時間を経て広く知られる「最善か無か」といったポリシーを築いていった。BMWは航空機エンジンメーカーからモーターサイクルを経て4輪車を生産するようになり、そこには一貫してエンジンメーカーとしてのポリシー、言い換えればエンジンありきのクルマ作りが展開されている。フォルクスワーゲンの言葉の意味は「国民車」。フォルクスワーゲンは常にドイツ国民と共にあったといっていい。その質実剛健ぶりはドイツの国民性そのものであり、ワーゲンに触れることはドイツに触れることとほぼイコールである。



 上に挙げたのはドイツメーカーだが、これらのように、自動車メーカーには「来歴」というものがあり、そして代表的なメーカーには貫かれた考え、価値観、ポリシーが常にあり、それが製品に反映されている。故に、自国のみならず世界で認められる「ブランド」となっていく。



 では、トヨタ自動車はどうか。



 トヨタは豊田自動織機が起源で、独自の研究開発から自動車生産が始まった。戦火の混乱期を経て日本の高度成長にあわせ、効率の高い開発、生産、販売を一貫して行なってきた。それは周知の事実として多くの日本国民に受け入れられ、トヨタ車は日本国民の国民車的存在となっていく。例えばディーラーの対応一つとっても、トヨタはユーザーの嗜好や生活感を非常に細かく理解しており、何より話しが早い。客の声、というより想いをきわめて素早く感知できるセンサーを彼らは持っている。これはトヨタ自動車の特技のようなもので、顧客をどんどん増やしていける。販売の一線、言い換えれば末端神経にまでポリシーが行き届いている証拠だ。



 トヨタにはトヨタの歴史があり、ブランド性も、私はあると思っている。しかし、それを敢えて捨ててレクサスを展開する、その狙いはともかくとして、真意がイマイチぼやけているように、私には思えるのだ。



 トヨタがせっかく築いてきたブランド性=安い、良質、良心、のようなものがあるなら、ならばトヨタでやればいいじゃないか。ブランドに重要なのは信用である。その信用とはポリシーであり、歴史であり、それは既にトヨタブランドが確立している。それもなおレクサスを、というその理由は、やはり付加価値商売と利益率に尽きるのだと思う。トヨタには自社製品がもっと高く売れてもいい、とする思いがあったのだと思う。



 しかし、そのことは「ブランド性」にはなっていかない。高級車を作るポリシー、「動機」としてはありえないだろう。だから、それを何としてでもレクサスは模索しようとするだろうし、早急に確立したいとも思っている。微笑みのブランドやら、L-FINESSEやらとやっているが、それはしょせん後付けの付加価値でしかない。やはり高級ブランドのブランド性やポリシーは長く一貫して継続され、そしてそのことをユーザーが受け入れ認めたものでなければならない。発足20年足らず、日本での展開が10年にも満たないレクサスには到底ムリなことではないだろうか。



 レクサスは、根無し草のようなものである。



 根を張れるほどのポリシーもなければ、根を張れる土壌にもなっていない。この不景気社会にあって、あのような製品を喜んで買える「地質」が日本にはあまりないのではないだろうか。









 それよりもやはり、既に地に深く根付いたトヨタブランドをより深化させ、トヨタの顧客を大切に育てていった方が、今後のトヨタのために大きな利益となっていくのではないか、私にはそのように思えてならない。








前田恵祐


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