「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

なぜセダンは必要なのか


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 セダンの魅力って一体何なんだ。そもそもセダンという乗り物はどういう乗り物なんだ。だいたいなんでセダンは廃れていこうとしているんだ。あるいは何でセダン復権しなければならないんだ。じつは現代においてセダンに関する疑問はけっこうある。


 セダンは、たしかにミニバンやワゴンに比べると多少不便かもしれない。トランクスペースは隔離されていてそのスペースそのものもミニバンやワゴンには劣っているかもしれない。クルマのカタチというのは人々のライフスタイルに合わせて変化するものだと思う。だとすればセダンはライフスタイルに合わなくなった、ということになる。


 ミニバンやワゴンのライフスタイル、あるいはその車型から想像される生活の雰囲気や香りというのはセダンよりずっとカジュアルで、かしこまっていない。人とクルマの距離感がずっと近い、と言えるかもしれない。それはとてもいいことだ。自動車という商品はこうしてどんどんヒトの中に溶け込んでいこうとしている。




 セダンはミニバンやワゴンより、では、かしこまっているということなんだろうか。それは確かにそうかもしれない。フォーマルな場にはセダンが良く似合っている。背広やタキシードのようなもの、いわゆる正装というものだろう。一つの空間にヒトも荷物もいっさいがっさいを積み込んでしまうカジュアルな、そして時にガサツなミニバンやワゴンと違ってトランクは客室と仕切られている、つまり、車型そのものにTPOというものがある。


 セダンを必要とする人は、即ちTPOというものを重んずるタイプの人なのではないだろうか。クルマはかつて人々がそうそう簡単に手出しできる商品ではなかった。自動車に乗って、乗せてもらってどこかへ出かけるときには正装をする、そういう時代があったことは事実だ。そこにはやはり一定の「行儀」というものが存在したのではないだろうか。運転とは非常に責任ある行為である。遊び半分で行なってもらっては困るものだ。パッセンジャーにあっても本来はきちんと着席しベルトを締める。自動車移動における最低限の「行儀」というものだろう。今も昔も同じはずだ。


 ミニバンやワゴンの気楽さとセダンの持つ行儀、言い換えれば自動車としての威厳。私はどちらも自動車の世界には必要だと思う。だからいくら人気が落ちようともセダンはずっと在り続けるべきだし、存在意義をきちんと認識しておかなければならないと思う。格好悪い、オヤジ臭い、そのへんはデザイナーさんに頑張っていただくしかないが、運転、高速移動に関わるリスクや責任が存在する以上、そのことをクルマ自ら乗員に「行儀」として意識させ、クルマ自ら「遊びじゃない」と言い続けるセダンはやはり世の中に必要だと私は思うのだが、いかがか。





前田恵祐
 


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