「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

運転を難しくする

クルマ離れについていろいろ考えます...(2013.4)

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 クルマ離れ。日本人がクルマを買えるほどカネを持たなくなったこともあるだろうし、クルマはエコじゃないという認識もあるだろうし、事実、公共交通機関で充分生活できてしまうというところもある。かつてクルマは嗜好品としての側面も大きくあった。嗜むもの。それは酒のようなものだったり、シガーのようなものだったり、骨董品のようなものでもあったかもしれない。それがあまりに普及してしまったがためにありがたみが薄れ、趣味性が排除されてしまった、かもしれない。


 でも私はもっと単純なところに仮説を立てたいと思う。


 クルマは格好よかった。カタチがではない。所有することが。そしてそれを流麗に運転してみせることに喜びがあった。その点今のクルマの運転は非常にラクになってしまった。これもクルマの機能の発達ゆえしかたのないところ。その反面運転の格好よさは得られなくなった。だって誰でも運転できてしまう。


 そう、昔のクルマは誰でも運転できる代物ではなかったのだ。あるいは運転にチャレンジするには敷居が高いと思われていた。クルマは男が運転するもの・・・誰かがそう決めたわけじゃない、しかしそういう風潮だったことは確かだ。昔のクルマは重いハンドル、重いクラッチペダルがあり、相応の運動神経を必要とした。だから男の乗り物だったのだ。男が運転できて「格好いい」代物だったわけだ。女の前で格好をつけられる道具。だから多くの男が熱中したのだ。昔は。


 だから私は提案したい。クルマをもっと乗りにくい代物にすればいいのだ。すべてをとは言わない。チャレンジのしがいのある、チャレンジして会得した結果格好のつくクルマを作ればいいのだ。それは男が駆っても女が駆ってもいい。そいつを転がす、転がせるということが格好いいという価値観をこしらえてしまえばいいのだ。


 ポルシェやフェラーリはブランドでしかない。しかもいまや誰でも運転できてしまうほどイージードライブだ。カネを出せることを自慢できるだけ。これではダメなのである。例えばR32型GTRの何が格好いいかといえば、あの重いクラッチ、スムーズに走らせることが難しいドライバビリティ、それらを克服して流麗に走らせることが出来る喜びにある。筆者が乗っていたSW20型MR2も似たところがある。現代のクルマとしてはちょっと敷居が高い、運転にコツや技術が求められるクルマだ。そういうクルマを「モノ」にできる達成感。ヒトに自慢できる、尊敬される誇り、喜び。


 誰でもドライブできる、これではダメなのだ。だからBRZや86ももっと運転しにくいクルマであって欲しかった。せっかくマニュアルのスポーツカーをこしらえた意味がない。その点フェアレディZは歴代ハンドルは重いしクラッチも渋いし、で、なかなかクラシックなスポーツをやっている。Z33あたりのマニュアル車は「流麗に運転できて自慢できるクルマ」の要件を満たしているかもしれない。そのあとの最新型はシンクロレブとやらが付いていて、せっかくのマニュアルなのに自動でエンジン回転を合わせてしまうバカバカしい装置が付いているから除外だ。


 何でも技術で解決してしまえばいいというものではない。人間が介在して初めて成り立つというものでなければ、人間の主体性、ドライバーの主体性というものがなくなってしまう。ヒトが意思を持って、リスクと対峙し高速移動するというのがクルマの醍醐味だ。しくじって痛い目に遭えばいい、クルマとは痛い目に遭うものだということを身をもって知ればいい。あるいはそれを事前に教えなければ成らない。そうしたことを、今の自動車界は忘れているような気がする。クルマの本来的な楽しさとは、リスクを認識し、一定の見識を持ち、自らを主体として初めて成り立つのだと私は思う。イージー=格好悪い、こう覚えておいてもらいたい。






前田恵祐



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