「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

「好き勝手にやった」クルマはこんなに長生き



このクルマを見ていると、すがすがしい初夏の木漏れ日を思い出す。



「好き勝手にやらせてもらいました」


三坂泰彦主管の言葉が忘れられない。
1987年6月、初夏の陽光に映えたダークカラーの高級車は同時に軽快で、
かつエネルギッシュですらあった。
保守的な高級乗用車の既成概念を明らかに突き崩そうとしていることがすぐにわかった。






「新しいビッグカーの時代が来る」
このゾクゾクするようなキャッチコピーにビッグカーのみならず、
自動車の新たな夜明けを予感させたことは間違いない。
そうとう大きな発想の転換、作る側の野心が息づいたクルマである。
いうなれば「変える」ということの意味を体現したクルマと言えるかもしれない。
当時中学校一年だった僕の自動車観、というより、人生観に大きな波動を寄越した。






のちに文献で知ることになるのだが、当時このクルマを担当していた三坂主管は、
相当な横紙破りな仕事をやってのけた人らしい。
既成概念にとらわれすぎ保守的だったデザインを土壇場で変更させたことをはじめ、
社内の承認システムを無視した数々の反乱とも言える行動がこのクルマのヒットを生んだ。
そしてその動きは、
三坂主管の勘一つで未承認のまま見切り発車の開発へと突き動かした、
初代シーマへと繋がって行く。






今改めて当時の文献読み返して思うのは、
日産という当時縦割り組織のなかで三坂主管は本当に「好き勝手」をやったわけではなく、
時に説き伏せ、巧みに巻き込み、最後には「ウン」といわせ、
きちんと組織人としてのおとしまえをつけながらこの仕事に当たっていたということだ。
それは彼の優れた処世術のみならず、自分の勘を絶大に信用していたということ、
くさい言葉を用いるなら「信念」の強さに他ならなかったと思う。
Y31がクラウンに対して善戦したのは、
彼の、この信念にユーザーが共鳴したからではなかったか。






Y31は誕生から25年を経て、セダンはタクシー専用ながらまだ売っている。
歩行者衝突のレギュレーションに対応し、一昨年リニューアルされた。
だからきっとまだ売って行くつもりなのだろう。
発売当時の25年前と同じなのは前後バンパー、4枚のドア、ドアミラー、くらいのものか。
しかし三坂さんの作ったクルマが、ちょっとかたちを変えてはいるがこうして受け入れられ、
認められているということが僕は嬉しい。


このクルマに触れて、僕は既成概念とそうでないものとの区別が出来るようになり、
そして「この道」を選んだような気がする。
このクルマのなにかに挑むような心意気が、僕の中にも息づいているような気がするのだ。







前田恵祐


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