「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。

5月1日によせて



 今年もまたこの日、この時が訪れようとしています。


 僕はセナファンではなかったけれど、彼の走り、彼の行動、彼の言葉、彼の生き様に強く揺さぶられるものがあった。全知全能、全身全霊をかけて時空の壁さえ打ち破らんばかりの姿をして、ある人は「音速の貴公子」と言った。またある老人は、成熟した時代の代理戦争に見立て「名誉の戦死」と言ってセナを悼んだ。


 彼は、彼らはいったい何と戦っていたのだろう。風のつぶてと語り合って造形された美しい「機体」に翼を付け、地上を豪速でゆくF1という名の戦い。何を背負い、何を使命とし、そこまでストイックに生きたのか。


 あれから23年もの時間が経過しようとしていたこの4月、僕はこの事故とセナに関する新しいエピソードに触れる。もしかすると既に広く知られているのかもしれないが、僕にとっては初めて聞くエピソードで、それはいかにもセナらしく、そして、彼が最期まで揺るぎなかったことを証明しているようにも思われて、強く印象づけられた。


 それは、事故後、ウイリアムズFW16のコクピット内から、オーストリア国旗が見つかったということだった。


 彼はあの日、あのレース。勝つつもりだったのだ。


 いや、それはいつもの彼と同じことなのかも知れない。しかし、前日、天に召された仲間へ勝利捧げる、その悲壮な思いとともにコクピットに潜り込んだことを証拠付けるものであり、さらには「彼」の「意志」を示す「痕跡」であったように思える。


 彼はいつものように・・・というより、はっきりと優勢を示していたシューマッハをねじ伏せて我先にチェッカーを受け、そしてオーストリア国旗を掲げたウイニングランでローランド・ラッツェンバーガーを弔うつもりだった。


 僕は、セナがあのレース前、既に自らの死を予期していたのではないかと、ずっと思い続けていた。ローランドの死やルーベンス・バリチェロの大クラッシュにより、心理的動揺があったとか、「もう走りたくない」と発言していたりとか、あの時のセナの状態がひどく掻き乱されたものであったことを、外から見て予測できる材料はたくさんあったが、今、改めて自らのコクピットにオーストリア国旗を持ち込んでいたというエピソードに接し、23年という時を経て、セナの「最期の遺志」に触れたような思いがする。それはあまりにも「優しく」「強く」そして「美しい」・・・彼の磨かれた魂に準拠したものとしか思えない。



 セナは、最期の最期まで、揺るぎないセナのままだった。





2017.4.24
前田恵祐

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