「新車試乗インプレッション」と「自動車批評」を主とするBLOGですが、ここに記されているレポートは鵜呑みにせず、ご自身で何事も検証してください。自己検証が大事だ、と言い続けたいブログなのです。 キミたちはもっと利口にならなければ、利口になろうと思わなければならない!

91アデレード





もう、忘れもしませんよね。
中嶋悟選手は当時オリンピック選手のように熱い声援をうけてましたから、
あの悲鳴にも似た叫び声は頭から離れないわけです。


「何とかコースに戻れないのか中嶋!!」


CXの三宅アナウンサー、今は「すぽると!」のキャスターをしていますが、
当時はバリバリのスポーツアナ。
中嶋悟選手の最終レースは雨のアデレード。
その二年前、89年、やはり雨のアデレードは語り草。
23番手スタートからファステストラップを塗り替えながら3位パトレーゼを追い回し、
結局は4位だったけれど、非力なロータス・ジャッドでの殊勲賞。


皆の脳裏にはそのレースがあった。
とうの中嶋選手も「神風が来た」といった。
しかし序盤にブーツェンと接触しウイングを失い、
ピットイン修復後次の周の2コーナーで体勢乱してスピン、
コンクリートウォールに接触。
レース後のインタビュー。


「う~ん、終わり方がいつものボクらしくて・・・もうちょっとイイとこ見せたかったけど・・・」


彼なりの、見てくれていたファンへの思いを込めた、
でもこの押し殺したような冷静を装ったようにも見えるインタビュー風景に、
熱いものがにじんでくるのがわかった。


F1以前の中嶋悟を知らない。
でも、すくなくともF1を走る、当時のF1の風景の中にいた中嶋は決して優勢ではなかった。
世界の厚い壁と戦うたったひとりのサムライのようだった。
紳士的でフェアなレース、マシーンを丁寧に仕上げ流麗に走る。
面倒なセッティング作業をいとわなかった彼がいたから90年アレジは活躍できた。
後年、ケン・ティレルが述べた中嶋への賛辞だ。

彼にはハートがある、そこが、皆を惹きつけるのだ。
ある外国人プレスが語った言葉である。
彼の行動や言動や、そして走りそのものからもそれは感じられた。
中嶋悟は、たしかにF1での戦跡は目立たなかったかもしれない。
切り開き、戦い、苦しみ、声援を受け、奮い立たせ、そして、終わった。


「もうちょっとイイとこ見せたかったけど・・・」
ありていな一言だが、しかしなんとなかみの濃い言葉だったか。
11月の冷たい雨が降ると思い出す。








前田恵祐



.

拍手[2回]