Monthly Talk/01 Apr 2018 マンスリートーク 2018年04月01日 世の中に出るとね。 本当にあらゆる無駄な思考や仕組みや理論や、論争や紛争が点在していて、本当にイヤケがさすのね。 きもちはわかるのね。 自分の考え方が正しいと、誰もが思いたいじゃない。僕もそうだからね。でも、そんなもの世の中にいくらでも正しさなんてものの在り方は存在するし、なにが本当に正しいのか、なんて考え始めたら本当にきりのない話だし、それ始めると必ず上下関係の話になるし、つまり、人間はそうやってマウンティングを繰り返しているだけなんだなあと思うんですね。自分の方が上である、という手応えを得ることで、無類の安心感を得られるわけだ。下品だね。 無類に正しさは存在するし、その追求なんかを始めたらキリがない、というふうに僕はかなり前に悟っているから、べつに、目の前にある「彼」の正論をそう簡単に否定したりはしないですよ。それはそれで、彼の数十年に及ぶ人生によって培ってきたモノだから、相応の正しさであるだろうと。それ否定すると、彼を否定することになるからね。 だからさ。 その「彼」にも、僕を否定する権利はないと思っているのね。こっちは、こういう「品のある」思考でもって対応しているのだから。でも、それ言っちゃったら、こっちも下品か(笑)、じゃあやめとこうか。。。 まあね、世の中そうやって、「勝ち抜いて」生きることで、お金が貰えるという仕組みでもあるし、僕はとっくにそういう、世の中のおおかたを支配する価値観から距離を置いていたりするから、この場所で好きなことをいくらでも書くし、それ、誰にも読まれていない(まあ日に50人くらいは来てくださっているけど、でもそのうちどれだけが僕の理解者かもわからんのだけどさ、、、)前提でやるしね。 誤解を恐れずに言うけれど、僕の考え方というのは、ひとつの悟りの境地です。世の中で行われているあらゆるコトがじつに無駄であるし、そのことが無駄であるという認識に至ることができたというのは、ある意味、僕の人生が、到達すべき場所に到達したと考えることはできると思うのね。 生きるってなんだろう、と、思う。 学校という初期統制を受けて、僕らは「製品化」され、世の中に出て、当たり前のように用意されている「価値観」に従って働いたりお金を稼いだりして、やれ、自分の方が上だ、自分のほうが正しい、というような、瑣末な論争を繰り返し、そして、死んで行くと。これ、地球上のあらゆる場所、民族、人種において同じように繰り返されているよね。そうやってある意味、経済活動というモノは支えられ、繰り広げられています、と。 僕らはその中の「駒」のひとつであると。いいんですよ、それで、ひとまずはね。世の中に埋もれて揉まれて、しごかれて、それで、その結果、なにかを見つければいい。その結果が「金満生活」なのかもしれないし、誰かを否定し続けることで得られる「権利」かもしれないし。でもそれじゃああまりに「世の中的」にすぎると思わない? 世の中に生まれてきて、それで「生きる」というのは、修行であると、誰かは言いました。僕はその考え方に賛成です。修行というのは苦行であり、それでもって、きちんと言っておきたいのは、修行苦行に自ら好んで飛び込む必要はなくてね、そういうモノというのは、頼まなくても向こうから、必要なだけやってくるから。そういうカリキュラムが組まれているとしか思えない、これは僕のこれまでの43年の人生を見返しても、じつに納得のいく説明になると思っています。 その修行苦行の量が足りなくて、自分という人間や魂の磨き込みが不足していれば、向こうからさらに修行苦行はやってくるものだし、必要がなければ来ないわけで。 僕のこれまでの人生は本当に大変だったけれど、もしかすると、ほかの誰かにとってみれば、どうってことはない、というふうに映るかもしれないね。だけど、それは、僕にとって、その歩みが必要だっただけのことなんです。僕にとっての修行苦行なんであって、アンタには関係ないと。でも、僕はだからといって、それから目を逸らすことなく、きちんと向き合ってやってきた、取り組んできたとは、自分では思いますよね。 僕の文章が、世の中的に受け入れられるかどうかは、もう、かなり前から、そうとうに難しいことだな、とは思っているんです。いわゆる功名心だけで有名になって金を生みたい、というたぐいの目的の文章ではないし、でも、世の中にはモノスゴたくさんそういう下品な文章が溢れているけれどね。僕と僕の文章が向かっていく先はそこではないんであろうと。 世の中のヒトや価値観に対して、説明の難しい人生や生き方をしてきているから、それに時間を費やすのも違うと思うし、わかってもらえたところで何が生まれるというものでもない。だから、数少ないここに来てくださる方々や、理解者の方々に巡り会えた、ということを以て「満足」すべきなんじゃないかなあ、という気は、今、とてもしています。 その意味では、僕は世の中的な成功は何一つ生み出せていない。金も無ければ地位もなく、一見して、市井の庶民であるし、でも、そういうふうに思っている人は、じつはけっこう、無言のうちに多く潜んでいるだけのことで、じつは、人々が目にする媒体の文章や記事には登ってこないだけのことでね。・・・というふうに、想像力は働かしておかないと、またね、僕のような人間は「お山の大将」にいくらでもなれてしまうから。 上品だよねえ、こう言っておいたほうが(笑) 2018.3.29 前田恵祐 [40回]PR