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前田恵祐は2018年5月18日、闘病の末この世を去りました。 故人の意思を尊重し、ブロクは閉じずにそのまま残すこととしました。 以前からの読者の方、初めてブログに訪れてくださった方もこれまでの記事をご覧にっていただけるとありがたく存じます。(遺族一同) 当ブログのURLリンク、内容、文章等を、他のwebサイト、SNS、掲示板等へ貼り付け拡散する行為、印字して配布する行為は、いかなる場合も禁止事項として固くお断りいたします。

ハヤマとイタリアと・・・AE111型カローラセダン



 引き続き、平成12年、中古車屋の営業時代の話をしましょう。



 そういえば、この時>>クリック<<、イプサムを狙っているもうひとりの人物がいた。


 名前はマルコ(仮名)。ガイジンである。先の商談でハイエースに決まったから、マルコに電話をし、二番手のあなたに商談の順番がきましたよ、と伝えた。月曜日の朝のことである。すると・・・



「ワカリマシタよ、みょうにち伺いマス」



・・・とだけ述べて彼は電話を切った。ホントに来るんだろうか。ガイジンが異国の地で中古車を買う、しかもなんのツテも紹介でもなく知らない店に飛び込んで中古車を買うというやや危ない橋のような買い物をするんだろうか・・・


 昼飯、僕は狭い事務所のデスクで近所の中華料理屋特製の細切り肉丼の大盛りを頬張る。月曜の昼は仕事も一段落してホッと一息できる。というのは、週末の来店、商談をこなし、その事務処理とか整備で預かったクルマ、下取り車の移動や入庫を終えるタイミングだからだ。そんなタイミングにお気に入りの細切り肉丼を出前してもらうのが月曜日の過ごし方だったのである。・・・が故に、完全に油断していた。



「コンニチワ??」



 ガイジンがやってきた、、というか、マルコだとすぐにわかった。



「あれれ、明日じゃなかったのですか??」


「ハイ、そうですね、、ん~、でも今日来ました、、コマリましたか??」


「いえいえ、大丈夫ですよ」



 マルコは商談テーブルの椅子に座ると、どーぞどーぞと言って、僕に細切り肉丼をたべろと促した。僕はコーヒーを出して待っていてもらうことにした。



「エスプレッソじゃなくてごめんなさいね」


「ニホンのコーヒーおいしいデスね、、雪印のコーヒー牛乳ダイスキ」



 そんな雑談からマルコとの商談、というか、付き合いは始まった。どうして明日じゃなくて今日来たの?と訊いたら、彼はこう言った。



「ニホン人はイタリアのコト時間にルーズだと思ってる、、日本は約束より早めに来て待ってる。うん、、だから、今日来た」



 イタリア人が時間にルーズとかいい加減とかズボラ、、それは知っている。僕は当時93年型ランチア・テーマに乗っていて、その作りのザツさ加減とか、どーしよーもない故障という名の「珍事件」の数々から、イタリア人の気質はおおよそ察するにあまりある、という認識でいた。でもマルコはそんな日本での評判を覆したい、というより、郷に入っては郷に従う、あるいは、「遅れるよりはマシだろう」という感覚で、「明日ではなく今日」来たらしい。なかなか微笑ましい行き違いに思わず笑い合った。


 
https://www.favcars.com/toyota-ipsum-xm10g-1996-2001-pictures-44897



「イプサムね、僕の田舎にも走ってマス」



 そう、イプサムは「ピクニック」という名で欧州販売されていた。ルノーが大量に買い込んで研究し、その結果「メガーヌ・セニック」という名作を作り上げたという逸話もある。日本におけるミニバンのベストセラーは欧州ではそのように、肯定的に捉えられていたのだ。



「日本車を買うのでいいんですか?」


「そうデスね、やっぱりその国の酒がイチバン美味しいのと同じ、、」



 マルコはイタリアにあるワイナリーと日本の貿易会社の間を取り持ってスムーズに輸出入業務が進行するようにコーディネートする仕事をしている。日本のどこの酒が好きかと訊いたら新潟のナントカという米の酒の銘柄に始まり、八甲田の麓で飲んだ地酒はサイコウだったとか、でも今は宮崎の焼酎が気に入っているといったようなことを、延々30分は語ってくれた。全部自分で足を運んで、日本の酒を知るという旅をしているらしい。酒のことだけでなく、あらゆる日本の文化に精通していることが窺われた。だから今乗っているホンダ・トゥデイの94年型は既に25万キロだという。



「すごいなあ、僕より日本に詳しいよ!!」


「そう?、、好きなモノには目がないね。イタリアは好きなモノをどんどん追いかけマス、、そこが日本と違うトコだね」



 わかるような気がした。


 彼がイプサムを欲しがる理由はただのひとつで、子供が生まれたからである。やはりどこの家庭も事情は同じである。大したメンテナンスもせずに25万キロも走ってくれたトゥデイ。セナも愛した”オンダ”を手放すのは寂しいが、オデッセイはちょっと大きすぎて、たぶんウチの車庫に入らない、と言っていた。


 細切り肉丼を平らげ、気合を入れて、ワンオーナー禁煙7500キロ138万円のイプサムの物件説明に入る・・・が、



「マエダサン、これはもう新車だから、何も言わなくて充分デス、ワカッテルよ、、、でもね・・・」



 彼はどうもその隣に先週展示し始めたばかりのカローラが気になるようだ。



「うん、、コレはつまりどういうコトですカナ?」



 マルコが指し示す先には、展示用プレートに先週僕がマジックで書いた下手くそな文字「5VALVE」があった。



「ああ、これはね、カローラだけど少しエンジンパワーがあるモデルということです」


「何CC?...何馬力?...ミッションは?...最高速は?...」



 矢継ぎ早に質問が飛ぶ。



「1600cc、5バルブDOHC、165馬力、6段マニュアル、最高速は、、、たぶん200キロくらいだけど、リミッターがついているから180キロまでで・・・」


「何デスかそれは!!、、ニホン人にはそういうクレイジイなクルマがあるんですか、、ただのチチウエがお乗りになるクルマにしか見えないヨぉ!!」



https://www.favcars.com/toyota-corolla-1-6-gt-ae111-1997-2000-photos-30380



 チョット日本語がおかしくなり始めているが、大きく息を吸い込んで首を横に振りながら驚嘆の表情を隠さないマルコの興味の対象はもう確実にこちらに移ってしまった。1997年登録の走行6000キロ、禁煙ワンオーナー、じつはクラウンを所有するお客様のセカンドカー出身、というわけで例によって自社管理物件。値段はイプサムと同じ138万円で出してある。AE111型カローラGT20バルブのキーをひねり路上に出ることになった。試乗である。


 やっぱり、さすが、、と思ったのは、マルコの運転がバツグンに上手いコトだった。ややトルクの細い4A-Gのゼロ発進時のスムーズなクラッチワークに始まり、ギアのあげさげのテンポ、エンジンを吹かすタイミング、あるいは、エンジンを「歌わせる」アクセルワークの巧さ。トヨタツインカムが、まるでアルファツインカムのように気持ちよく歌うのである。しかもそれも、今日初めて出会って、今タイヤを転がし始めたばかりなのに、である。


 彼の運転を見ているとわかるのは、だからといって、必ずしもアクセルを踏みつけているわけではないということだった。回転や負荷に同調させるように、アクセルをまるで撫でるように扱っている。それはハンドルもブレーキも然り。それで充分に速く、そしてエンジンは楽しげに歌っている。日本人はクルマのアクセルを踏みつけ、高い負荷を与えることで速く走り、エンジンが頑張っている姿を感じてドライビングの悦びだと思っているようなところがあるが、イタリア人、というか少なくとも彼の運転はクルマと同調しながらクルマと共に楽しんでいるという様子に見えた。ああ、セックスと同じだな、、思ったけれど言わないことにした。



「やっぱり運転が上手なんだね」


「そうヨ、イタリアは運転上手くないと彼女デキない、、」



・・・やっぱりそうなるよね。店に戻ろうと道案内をすると寄りたいところがあるという。



「三浦藤沢信用金庫は近くにありマスか?」


「ああ、この辺にはないですね、お金下ろすのですか?」


「このクルマのお金、振り込みスル」


「それなら別の日でもいいですよ」


「でも、こんなアルファロメオでも作らないようなクルマ、モタモタしてたら誰かが買ってしまうね」


「大丈夫、今日少しだけお金払っていただいて、残りを明日にでも振り込みしてもらえれば、このクルマは他の人には勧めません」


「わかった、アリガトウ」



 店に帰って書類を作成しながら、僕は自分が93年型ランチア・テーマに5年以上乗り、弟はついこの間、最新型のフィアット・プントを買ったばかりだと話した。



「ケイスケ、そういう重大ことはもっと早く言うのがアッタリマエ!!今夜はワインを開けマスからハヤマにある僕の家に来るコト、、ヨリコ(彼の妻)のメシは最高バツグンだからね、、ゲストルームもちゃんとあるから」



 彼の流暢な日本語による無駄話はとてもここに書ききれるだけの分量ではなく、当然商談は半日仕事となり、既に閉店時間を迎えそうになっていた。後ろで見ていたシャチョウが言う・・・



「マエダはあした休みだったな、今夜はご馳走になったらどうだ。ランチアでお送りしてさしあげなさい。明日は帰りがけに葉山警察に車庫証明提出な」



 シフト上、明日は休みでもなんでもない。


 夜闇が降り始めた横浜横須賀道路を5速2800回転で走るランチア・テーマ。妻のヨリコさんに「トモダチ」を連れて行くと電話をすると、彼は少し遠い目をして「この道、アウトストラーダA3にニテイル」と言った。逗子インターを降りて逗葉新道で100円支払い、森戸を抜けて御用邸のちょっと手前を山側に入ったところにマルコの自宅はあった。こじんまりとした古民家風の日本建築だったが、中はキレイにリフォームされていて、檜の香りがほのかに感じられた。たしかに間口は狭く、テーマも2回切り返してやっと進入できた。ピーコックグリーンのトゥデイが停まっている。ヨリコさんはまだ三ヶ月の赤ちゃんを抱いて玄関で迎えてくれた。



「とつぜん押しかけまして、すみません」


「今日はちょうど佐島の港でタコと鯛のいいのを仕入れてきたから」



 いいタイミングでお邪魔したようだ。


 既にセッティングされているテーブルに就き、僕とマルコで赤ちゃんをアヤしながらヨリコさんの手料理を待つ。その間もマルコのおしゃべりは止まらない。アウトストラーダで一人自宅に戻る深夜、突然UFOが現れたかと思うと彼の運転するフィアット・リトモに急接近してきてそれを避けようとしたらハンドルを取られて横転炎上したが自分は無傷だったとか、89年サンマリノグランプリを見に行った帰りに突然道に飛び出してきた野犬を避けようとしたら360度スピンして死ぬかと思ったけど、どこにもぶつからずそのまま走って帰った「どうだ、ナイジェル・マンセルみたいだろ?」なんていう嘘だかホントだかわからんような武勇伝をいくつもいくつも繰り出した。


 どうやら、F1の話も通じるみたいなので、どのドライバーが好きかと訊いてみると、一番速いのはアイルトン・セナだが、心情的にはナイジェル・マンセルだと答えた。イタリア人ドライバーは?と訊けば、「フェラーリだってイタリア人を使わない、今はそういう時代だよ」って。じゃあシューマッハは?「うん、イタリアの地図みたいなカタチの顔だ」というから「顔面三浦半島って呼ぶ日本人もいるよ」といったらウケた。「じゃあケイスケはどうなんだ」というから、僕は特定の人というのはあまりないけど「92年ドイツGPのセナとパトレーゼのバトルは気に入っているよ、パトレーゼのアタックはじつに素晴らしかった」と述べると「オマエ、いいところに目をつけているなあ」となにやら感心していた。


 最初に運ばれてきたのは鯛のカルパッチョである。これに白ワインが開けられた。順番に次はあさりの蒸したやつが来て、パスタはペペロンチーノだったがこれに入っているアンチョビがバツグンだった。ここでマルコが少し改まって切り出す。



「どうだケイスケ、ワインはオイシイか?日本人の好き嫌いで言って欲しい」



 つまり、ワインを輸入する商売だけに、日本人の舌に自分たちのワインがどうなのかというところは非常に気がかりなのだ。僕はワインのことは何も知らない。メルシャンの980円くらいしか飲まないしそれくらいの味覚しかないと思っている、と述べた上で、持てる語彙の限りを尽くしてインプレッションする。



「この白ワインは、まるで桜の花が咲く季節のような華やかでフルーティな味わいがあり、なめらかだけど少しシャープ、エレガントな飲み心地はとてもいいと思う」


「そうか、じゃあ今度はコッチを飲んでみろ」



 次に骨付き子羊肉をハーブにまぶしてサッとソテーしたヤツと一緒に、別の「赤」をマルコは開けた。



「こっちは、、、ん~正直に言うけど、エンピツみたいな味だね、でも不思議とこの渋みが、料理にも合っていると思うよ」


「ケイスケ、オマエはソムリエになれる!!」



 なんだかわかんないけど、僕はとてもいいインプレッションをしていたということのようだし、彼は僕の舌を信用に足ると思ったらしく、その証拠に、新商品の発売前にはマルコの家に呼ばれたり突然サンプルが送られてきたりする「お付き合い」が続いた。先に書いたように彼の運転から感じたところでもあるけれど、イタリア人は、まず自分が楽しむ方法を熟知しているし、そして他人を楽しませたり喜ばせたりするアンテナの鋭さは格別だと思った。しかも相手を楽しませたり喜ばせたりすることが、また自分の喜びになる。喜びの複層連鎖、悦楽の高速培養装置、そういう人種なんだとこの時改めて思った。


 翌朝。


 目をこすりながら「オハヨウ」と僕が起きていくとマルコたちも起きたばかりでヨリコさんは朝食の準備をしていた。炊飯器から湯気が上がっている。今朝は和食のようだ。



「ケイスケ、メシくったらみんなで海岸を散歩しよう」



 なんだかヘンな気分である。マルコは僕から日本人のど真ん中ともいうべきカローラを買って、僕はといえばイタリア人のど真ん中とも言うべきランチア・テーマに乗っていて、横横はアウトストラーダに似ていて、三浦の地魚のイタリアンとイタリアワインで歓待を受け、そして僕らは意気投合し、トモダチになった。葉山の海の、砂浜を歩きながらマルコは言うのである。



「ここは僕の田舎の景色を思い出すんだよ」



 僕は外国を旅行すらしたことがない、非国際人だ。しかしランチア・テーマというイタリア車を通じて、クルマという小窓を通じて、イタリアを垣間見ながら、世界にはいろんな考え方、文化、習慣、香り、感情のようなものが確実に存在し、その「違い」の隙間に接することがあったならきっと刺激的な瞬間になるだろうし、わかり合えたならとても豊かな気持ちになれるだろうと思っていた。僕はそれまでも、仕事を通じて何人かの外国人と知り合い交流していたが、日本に住む彼らに共通して感じたことは、自分が日本社会に、日本人に受け入れられるか、うまくやっていけるかどうか、という心配を、どこかに匂わせていたことだ。きっと日本人が外国に行けば同じ感覚だろう。


 マルコはその後出世して、彼の活躍により立ち上がった日本法人の重役になり、主に業販とネット販売に販路を拡大。かなりの成功を収めているように見えたが、のちに訪れるリーマンショックで業績が悪化し、彼の会社は日本から撤退。それと同時にマルコは家族を連れてイタリアに帰った。最後のメールには「実家のワイナリーのチチウエになります」と書いてあった。


 僕は2018年、この春から、思うところあって14年ぶりにイタリア車を持つことに決めた。総額50万円そこそこの、ボッロいヤツである。外装はガサガサだし、内装もクタれてるし、エンジンのアンダーカバーはナニかに濡れているし、とにかく普段自分では選ばないタイプの中古車だが、ボロいのになんだかそれもサマになって格好よく見え、そしてエンジンは相変わらず頼んでもいないのに楽しげに歌い上げ、彼(車)はとても人生を謳歌しているように見えた。



 そんな時ふと、マルコは今頃どうしているだろうと思い出してしまうのである。






2018.2.18
前田恵祐

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