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前田恵祐は2018年5月18日、闘病の末この世を去りました。 故人の意思を尊重し、ブロクは閉じずにそのまま残すこととしました。 以前からの読者の方、初めてブログに訪れてくださった方もこれまでの記事をご覧にっていただけるとありがたく存じます。(遺族一同) 当ブログのURLリンク、内容、文章等を、他のwebサイト、SNS、掲示板等へ貼り付け拡散する行為、印字して配布する行為は、いかなる場合も禁止事項として固くお断りいたします。

そして夜はふけていった・・・E36型BMW320i



 またもまたも、平成12年頃に勤めていたクルマ屋時代の頃の話しである。


 僕がクルマ屋に就職して半年位したある日のこと、仕事中に携帯電話が鳴った。見覚えのない着信番号に恐る恐る出てみると聞き慣れた、ちょっと酒灼けしたあの人の声がして仕事の手が止まった。


「あーケースケさん!高柳、タカヤナギ!覚えてる?」


 高柳さんとは僕が最初の職場で中卒で働き始めたばかりの頃に出会った印刷会社のオジさんで、それ以降、最初の職場ではずっとお世話になっていた人である。大人社会の右も左もわからない僕に、紺色のスーツをバリッと着こなし、七三にセットされた白髪がトレードマークのザッツ社会人、ザッツ仕事人だった高柳さん。僕のようなヒヨッコにもちゃんと礼を尽くしてくださって、初めて名刺交換をさせていただいた方でもある。忘れるはずもない。


 僕が勤めた最初の職場はというと、零細芸能プロというか芝居小屋みたいなところで、まだネットもなかった時代に郵便のダイレクトメールをバンバン打って、常連客を掴み、芝居のチケットやグッズ、ビデオなんかを売っていく、という仕事をしていた。と、いうわけだから、印刷会社とは、というか、そこの部長さんだった高柳さんとは切っても切れない間柄だったというわけだ。でもそんな高柳さんも僕が転職しようかと迷っていた頃に、僕より一足先に会社をリタイアし、風の噂では何か自分で商売を始めた、みたいなことを聞いていたが、音信不通だった。


 そんな高柳さんからの久々の電話に懐かしい思いがしたのは当然だし、どこから聞きつけたか、僕がクルマ屋で売り子をやっているのを知って、僕からクルマを買ってくれるという申し出をしてくださったことに俄然ハッスルしたことは言うまでもない。


 僕の知る限り、高柳さんの車歴は90年代前半から、81マーク2の後期2.5グランデG、90マーク2の同じく後期2.5グランデG、そしてその次が15クラウン後期3.0ロイヤルサルーンのダークブルーツートン、そしてこのクラウンに今も乗っているらしい。


 けっしてカーマニアではないが、営業には常にご自分のクルマで歩いて回られ、例えばマーク2やクラウンに刷り上がったばかりのインク臭いダイレクトメールを満載して、シャコタンみたいにして運んできてくれるような、そんな人だった。だからクルマと付き合っている時間は長いし、ヘビーユーザーとしての一家言はある、というような方だったと思う。


 久々に再会した15クラウンは登録3年目にして既に9万キロのマイレージを重ねていた。



https://www.favcars.com/toyota-crown-s150-1995-99-wallpapers-186111



「ケースケさん、もうコイツァ駄目だよな」


 吐き捨てるように査定額がつかないことを嘆いてみせた高柳さんだが、拝見したクラウンでびっくりしたのはタバコ臭がまったくしないということだった。高柳さんはタバコを吸う。でもクルマの中では吸わないことにしていたらしい。シガーライターも灰皿も綺麗なままで、これなら禁煙車で通用する。やはり節度ある、分別のある人が乗ったクルマというのは、どこかパリッとした緊張感を保っている。だらしなくヘタっているようなことがない。


 僕は無事故ワンオーナーで密度の濃い東京トヨタの整備記録の残ったこの15クラウンに80万という値段を挿した。むろんこれはご奉仕ハッスル価格である。パールホワイトの屋根付き(ムーンルーフ付きの意)、マルチ付きならその値段でいいが、紺色の屋根なしマルチなしでは無理な値段。そして例によって勝手に挿したその値段を見たシャチョウに「鼻血ブーだぜマエダよぉ」と後で半ギレされるわけだw


 高柳さんのお目当ては本体価格ジャスト250万でこの前雑誌にも出した、ボストングリーンのE36、BMW320iの98年最終モノ。サービスフリーウェイも使えて走行まだまだの1.2万キロである。勤め人も勤め上げて自営になり、世間や会社のしがらみもなくなり好きに車が選べるようになった、だからBMWなのだという。大きすぎずそれでいて内装が革張りでサンルーフもついているというデラックス仕様(氏の弁)。これを、下取り差し引き250ジャストで買える初めてのガイシャなのだとしたら御の字と思っていた高柳さんの反応は大フィーバーだった。


「オイ!おめえんとこそんなんで商売デージョーブなんかい!!」


 彼は興奮すると故郷の言葉が出てくる。僕は、でもちょっと冷静に思う。クラウンやマーク2が長かった人が、いかに生活観が変わったとは言えいきなりBMWではちょっとギャップがありすぎる。下手すると乗って初めて「自分向きでない」と思うことだってあることを過去の例から知っている。


「まあまあ、高柳さん、試乗、行きましょうよ、まずは味わってくださいよ」



https://www.favcars.com/photos-bmw-320i-sedan-e36-1991-98-169744



 BMWのシルキーシックスは例によってシューンと軽く目を覚まし、革装特有のニオイに高柳さんはますますテンションが上がり、そして彼はワイパーを動かしてしまうのである。


「オリョリョ!そうか!逆なんだな外車は。イケネエイケネエ」


 でもその後はしばらく静寂が流れた。というか、やや低めのファイナルを持つ320i特有のやや引っ張るシフトスケジュールにより、普通に走っていてもBMW特有の硬質なサウンドを味わうことが出来る。そして彼の興奮を冷ますようにこのエンジン音が室内に響いているのだった。


 乗り終えた高柳さんの表情はやや硬かった。やっぱり駄目だったか、と思ったが次の瞬間には興奮から転じて深い感銘のため息を混じらせ彼はこう言うのだった。


「いやぁ、目が覚めるようだね。鮮やかな、実にいい走りだ」


 こういうケースは初めてではない。例えば、マーク2ツアラーVに乗っていて、自分では走り屋でクルマのことを知り尽くしているというような自負のある人が、このように初めてBMWの、しかもどうってことないと思っていた320や318に乗ってみて「目が覚める」というような発言をするシーンを僕は何度となく目にしてきたし、何を隠そう僕自身がそうだった。その反面、国産車のあの安楽さに慣れきった人には、ちょっと重たすぎて、と拒絶されることもある。評価真っ二つの可能性がある国産⇒BMの乗り換えだったりするのだが、高柳さんの場合、非常にポジティブにBMを受け入れてくれたようで安心した。

 
 そして高柳さんはセカンドバッグの中から銀行の封筒を取り出し、提示した見積額の端数、8千6百何十円をちょん切った分だけのお札を取り出し、印鑑証明2枚と実印、車庫の自認書も既に書いてあったりして、そんな一式を並べ始めた。ちなみに僕のお客さんは前にも書いたとおり自営や中小の経営者が多く、ローンは圧倒的に少なくてラクだった。みんなこうしてゲンナマを忍ばせて僕の元にやってくるんである。


「ケースケさんよぉ、端数はあとでな、あとで・・・」


 意味がわからなかったがひとまずそれくらいならシャチョウの半ギレがフルサイズになっても自分の給料から天引きにしてもらえばいいやと思って、端数切りした契約書を作って捺印していただいた。そこに営業先からシャチョウが戻る。


「ああこれは社長さん、ウチのケースケがお世話になっておりますようで・・・違うか!(笑)」


 といって目を見開きおどけてみせる姿が猛烈に懐かしくてちょっとだけグッと来てしまった。そう、彼にはお世話になっていたのである。お世話になっていた、だけではなく、仕事のイロハを教えていただいたようなところもある。そんな恩義のある人に満足していただけるクルマをお世話できるということ、クルマの売り子にとってこの上ない喜びなのだ。


「社長さん、ケースケを、今日はお持ち帰りしてもいいですかな?」


 上機嫌な高柳さんは親指と人差し指をクイクイとやって酒を飲むジェスチャーをしてみせた。久しぶりに一杯やろうや、ということのようだ。


「今日はいい条件、出していただきましたからなあ」


 シャチョウも意味を理解した。後処理もあったがそれはニヤニヤしながら見ているセンパイのオカダ君に任せることにして、僕らはタクシーで職場を出た。


 向かった先は、高柳さんが会社員時代からよく通っていたらしい、キレイなお姉さんたちの接待と高級なバーボンやらビーフジャーキーやらイロイロを出してくる「銀座のお店」だった。


「ケースケ!こういう店初めてだろ!ん?」


 そこで高柳さんは今日どんなにいい買い物をしたのか、ビーエムがどんなに素晴らしいクルマだったか、そして成長した僕の仕事ぶりをお姉さん達を前に褒めちぎって、そして僕はかなり有頂天になるまでバーボンをグイグイ飲まされた挙句、「ケースケ、もう一軒だぞ!いいな!」と言われて言われるままにこれまた高柳さんが常連らしい「銀座のお店(その2)」になだれ込み、そこで何人かのキレイなお姉さん達を伴って、「シメは別腹だぞ!」とばかりに、これまた高級な国産本マグロの大トロとか希少部位しか出さないような寿司屋、までは記憶に・・・


 たぶん、僕はさっき見積もりで切り落とした端数分の、カルく十倍以上は取り戻して、そしてその夜はふけていったのだった、と、そう記憶している。





2017.6.3
前田恵祐

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