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前田恵祐は2018年5月18日、闘病の末この世を去りました。 故人の意思を尊重し、ブロクは閉じずにそのまま残すこととしました。 以前からの読者の方、初めてブログに訪れてくださった方もこれまでの記事をご覧にっていただけるとありがたく存じます。(遺族一同) 当ブログのURLリンク、内容、文章等を、他のwebサイト、SNS、掲示板等へ貼り付け拡散する行為、印字して配布する行為は、いかなる場合も禁止事項として固くお断りいたします。

天才が買ったタマゴ・・・TCR10系トヨタ・エスティマ



 平成12年頃の中古車屋のニイちゃん時代、そのお客様の大半が個人事業主だったり中小の経営者だったりしたという話は、このカテゴリの過去の記事にも書いたけれど、とにかく、いわゆるサラリーマン質のお客様が本当に来ない、というか、ニガテという点は徹底されていたと思う。それは僕が中卒で学がないという点と無関係ではないと思うけれど、だからといって、高学歴のインテリを相手にできないわけではなかった。


 宮島くん(限りなく本名に近い仮名)という横浜国大生も僕のお客様の一人だった。しかも、理工系で、ゆくゆくは人工知能の開発に携わるのだと言って勉学に励んでいた、ドラマあぶない刑事に犯人役で出演した頃の俳優、水谷あつし似の色白でひょろっと背の高い好青年である。


 宮島くんは自転車で来店した。しかもカッコいいロードタイプとかMTBとかでなく、四角い前照灯がついたボロクソいママチャリである。キュッコキュッコ言わせながらやってきた。石川県野々市町の実家からもってきたらしい。しかも、うちの店の手前のカーブでコケたらしく、膝丈のズボンゆえ足は擦りむき、タイアはパンクしていた。店に、なぜだか自転車のパンク修理キットがあって、それを使って直してあげた。クルマ屋をやっていると、じつは生傷が絶えない、というのをうちの社長は熟知していて、店には薬箱とかガーゼとか軟膏とか包帯なんかもあって、彼の「足廻り」の手当もしてあげた。


 彼とはそういう出会いだった。


 むろん、宮島くんはクルマを買いに来たのである。国大の近くの下宿、からちょっと離れてるけど、駐車場も既に契約済み。初めての印鑑登録を済ませたばかりで、それもクルマの購入を前提にしてのコトだった。真新しい印鑑に、印鑑証明も揃っている。


「学内に自動車部ってあるんですけど、なんだかああいう、汗臭いの、ダメなんですよね、僕」


 インテリである。そしてインテリじゃないけど、僕は共感できた。クルマ好きだからといってイジリ倒して泥まみれ、油まみれ、汗まみれになるのが、クルマ好きの証拠、みたいに盲信している人たちとは、僕もずいぶん前から距離を置いていたから。


 で、インテリのクルマ好きは、話が長い(笑)


 要約すると、クルマのエンジンは、物理学上車体のできるだけ中心に配置することが望ましく、しかも重心を低くするためにアンダーフロアであることがさらに望ましい。極力車室を確保するために補機類を含む走行メカニズムのためのスペースは最小限にとどめ、合理的に配置、デザインされたものが、これからの時代の理想となる自動車、移動手段である、ということを、さすがは将来を嘱望される国大生、宮島くんは冷徹に、そう、まるで自分がそのクルマを設計したかのようにまくし立てた。



https://www.favcars.com/toyota-estima-1990-99-wallpapers-186336
※画像はイメージ、色違い



 彼のお目当ては、名前を出すまでもなく、名前を口にすることもなくして、平成2年式の走行3.8万キロ1オーナー無事故記録簿付、地元横浜の「農家」のセカンドカー出身。価格128万円で出している初代エスティマであることはわかった。色はサンセットブラウントーニングG。希少色である、不人気だけど。


 彼は肩から下げた、転んだ時にちょっと汚してしまったナイロンのショルダーバッグの中に、なんと浜銀の封筒に詰め込んだ128万円の現金を既に持っていた。弁当屋とカラオケ屋のバイトを掛け持ちしたり、田舎のおばあちゃんからの仕送りを貯めておいたりして作ったお金だという。物心着いた時にはエスティマは町を走っており、子供の頃から理想のクルマはこれしかない、どう考えたって合理的で、しかも美しくパッケージされている、自分はこのクルマに乗る運命なんだ、そういう感じだった。


「このクルマは、僕のためにあるようなものだとしか、思えません」


 クルマを買おうとしている人の多くはこうした思いとともに来店することが多い。そして、そこまで「思いつめている」ひとは、まず間違いなくお金を支度してあり、あとはハンコを押すだけというところまで、じつは、キモチが出来上がっていることが多い。


「僕にこのクルマを売ってください!お願いします!」


 なんて真っ直ぐな子なんだろう。自分と6歳くらいしか違わないが、思わず応援したくなる、そういうタイプのインテリ、というか秀才だった。当時既に流行り始めていたエアロにシャコタン、20セルシオの顔を移植していたりして怪しさ満点のエスティマに飛びつくような人たちからはもっとも遠いところにいる子だった。


「大丈夫だよ、僕もキミになら気持ちよく売りたい、と思っているから」


 そういうと、安心してくれた様子だった。とかく、幾ら負けるのか、他店より条件がいいだの悪いだのと、いわゆる大人の銭金に絡む見苦しい駆け引きに、当時既に身を馴染ませていた営業の僕にとって、宮島くんのこの「ピュア」な印象はじつに鮮烈だった。心洗われる商談を挙げよと言われたら、まず彼のことを挙げるだろうし、事実、こうして挙げているわけで。


 というか、この段階で、彼は、現車をまだ見ていないのである。


「宮島くん、クルマまだ見てないよね、車検もあるから試乗もしたほうがいいよ」


 ボンネット、というか、フロントフードをおもむろに開き、彼はこう言った。


「ひとつ、よろしいですか」


 人差し指を突き上げ、僕に尋ねる姿はなんだか、ドラマの中の、あの刑事さんにそっくりだった。平成12年は、ドラマ相棒の創世期で、まだプレシーズンを放映し始めたころのことだが、むろん、刑事モノが好きな僕はチェックしていたし、そう話したら、「バレましたね」と苦笑して、宮島くんは水谷豊ファンであることを打ち明けてくれた。カワイイところもある。ドラマ「刑事貴族」のシリーズから時間が開いて、久々に水谷豊氏の刑事ドラマを楽しめることを喜び合った。


「で、ご質問の内容は?」

「このクルマはフロントの補機類をシャフトで駆動しています。そしてそのシャフトのカップリングが摩耗するとシャフトの回転軸が偏心して車体に接触し、音を出します。その対策はしていただけますか?」


 さすがである。クルマ屋の僕らでさえ、この、エスティマの補機シャフトの異音問題については情報が少なく、とくに走行距離の進んだ個体において発生することが多かったから、なかなか事例というものを見ることができずにいたが、確実に、初代エスティマ特有のレアトラブルであることは確かだった。


「納車前点検は神奈川トヨタに出すから、問題があれば連絡しますよ」


 そう回答して彼は納得してくれた。


「まるで新車のようですね、他にもエスティマを見に行きましたが、ダントツのクルマです。ええ。ニオイからして、違いますねぇ」


 といって彼はまた人差し指を突き上げてみせた。運転席でハンドルを採る彼は、それでもその年免許を取ったばかりで初心者マークを貼り付け試乗したが、ウチの店のクルマの良さを理解してくれたようだった。


 農家の屋根付き車庫に収められていた10年物のエスティマは美しく輝き、内装は禁煙。しかもこれまたエスティマ特有の、ハードプラスチックに塗装を施しているダッシュボードやドア部分の塗装剥がれも、この個体は皆無だった。元オーナーの愛情が深かった証である。


 車両本体価格128万円、ここまでは彼、宮島くんの自己資金で当日現金入金してもらった。しかし諸費用のコトをあまり考えていなかったらしく、不足の11万円ほどは野々市のおばあちゃんに、東京見物を約束することで融資してもらい、期日までに遅滞なく支払ってくれた。そういう人、というか、そういう気持ちの良い買い方をしてくれた彼だから、こちらからの、お礼の意味も込めて、カップリング交換、約6万円だったと思うが、やっておいてあげることにした。


 ナンバーは横浜33のまま。彼の希望だった。元のオーナーの顔も見えているので、僕らから「新しい所有者が同じナンバーで購入されたいと希望しています」とお伺いを立てると、「ほほう、どんな人?」と聞かれたので、商談の経緯をお話しすると、元オーナーはにこやかに了承してくださった。元のオーナーはFFになっ(てしまっ)た二代目エスティマは購入しなかった人である。


 晴れて二週間後、神奈トヨの点検整備も終え納車を迎えた。「カップリングはやっておいたよ」と言うと、ことのほか喜んでくれた。


「これで安心して旅ができます。田舎にもコイツで帰るし、日本縦断をするのが僕の目標なんです」


 以降、宮島くんからは毎年年賀状が店に届いた、らしい。僕は一年で営業をやめちゃったが、たまに遊びに行くと彼の話になったりするのは、彼の律儀な性格のためでもある。そして数年前、彼は某研究機関の主席研究員の地位にあると聞いた。年賀状にはとても22万キロ走行とは思えない、玉のように美しい茶色のエスティマの写真がプリントされていた。おばあさんとの約束を果たし、列島を縦断し、きっといろんなところを走り回りながら、初代エスティマは現代の先端を行くAI研究者のハートを捉え続けている、ということになる。



 これも、あるクルマの特性を捉えることのできる重要な一面、とは言えないだろうか。





2017.11.23
前田恵祐

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