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前田恵祐は2018年5月18日、闘病の末この世を去りました。 故人の意思を尊重し、ブロクは閉じずにそのまま残すこととしました。 以前からの読者の方、初めてブログに訪れてくださった方もこれまでの記事をご覧にっていただけるとありがたく存じます。(遺族一同) 当ブログのURLリンク、内容、文章等を、他のwebサイト、SNS、掲示板等へ貼り付け拡散する行為、印字して配布する行為は、いかなる場合も禁止事項として固くお断りいたします。

帝国ホテルのコーラフロート・・・S210型ベンツE320ワゴン



 一言で言って、いい予感はあまりしなかった。17年前、中古車屋に雇ってもらって5ヶ月目になる頃。


「ああ、日本●●銀行の狭山と申しますがあ??」


 狭山さん(仮名)は、電話を受けた第一声からして自分の「立場」を強調して言ってきた。ある種のステータスのある人にとって、自らの出自を臆することなく明かすのはある意味名刺がわりのようなもので、逆に僕らのような市井の凡人にはできない所作である。


 このカテゴリでも何度か書いたように、こういうタイプのお客様、つまり、社会的地位のある階級意識のある層に、僕という新人営業ははっきりと成果を残すことができずにいた。僕のお客様、お得意様筋はというと、やはり個人事業主やフリーランス、中小の、しかも横文字系の社長が圧倒的多数だった。だから、冒頭のように、いい予感はあまりしなかったんである。


 銀行のお偉いさん、ということだけはすぐにわかった。声の張り、自信のある口調、ビジネスライクで端的な会話・・・かなりのやり手、切れ者ではないかと想像できた。企業や会社社会でそれなりに実力があり上り詰めていくような人というのは、そういう「迫力」というものがあるし、また、そうしたものを身につけないと登っていけない、堂々とやらなければ社会では成功しない、ということでもあった。だって、僕の生き方はその逆だったもの。


 横浜の場末の中古車屋、だけど、並んでいるクルマは珠のように輝き、素性の優れた超のつく優良中古車ばかりであったから、店舗の設備投資にケチってボロく見えても、目利きにははっきりとどういう商売をしている店であるかはわかってもらえる、それが僕らの売りだった。だからして、お客様の層は確実にハイオーナーであり、かつ、社会の常識や安っぽい見てくれだけで繕った商売を簡単に見抜く力を持った方々であることが多かった。その意味では非常に良い社会勉強になった仕事だったと思う。


 でも。エリートサラリーマンという人種はニガテだった。自分がサラリーマンに向いていなかったからだ、とは当時から思っていた。だから、狭山さんを担当することになったとき、その苦手意識を分かっていたシャチョウに睨まれた。


「オイ前田よお、ここらへんでバシっと、決めとかないとな。狭山さん、昨日電話でお話して、帝国ホテルでアポとったからな、オマエを向かわせるって言っといたから」


 普段は店舗営業でシコシコお客様を対応していた。その中でもエリートサラリーマンのお客様との商談がことごとくスベっていた入社半年の僕。そんなところにもってきて、銀行のお偉いさんであるところの狭山さんは商談場所に、なんということか、帝国ホテルのオフィスルームを指定してきたらしい。これはマズい。いつものラフな格好では臨場できない商談になる。面接時に買った紺色のコナカのスーツを引っ張り出した。シャチョウからの圧力ももちろん感じていた。失敗はできない!


 狭山さんご指定の、メルセデスE320ワゴンの西暦2000年、当年モデル、ということは、サイドミラーにウインカーが付くようになった始めの頃のモデルである。お決まりのシルバーメタリックで、内装は黒革、サンルーフにナビも標準のサードシート付きモデルである・・・このサードシート、というのが今回の商談の大きな決め手になるとは、この時思わなかった。



https://www.favcars.com/photos-mercedes-benz-e-430-estate-uk-spec-s210-1999-2002-268324
※画像はイメージ



 帝国ホテルまで、メルセデス日本仕様のナビゲーションを使ってなんとか到着した。首都高が要人警護とかでやたら混雑していて、時間に間に合わないかと思ったが、緊張しまくっている時というのはむしろ足が速くなるもので、なんと一時間も早く到着してしまった。喫茶店で珈琲でも飲んで待つか・・・いやいや、そんな雰囲気ではどうやらない。間接照明にモフモフのジュウタン。足を踏み入れると毛足の長いジュウタンが僕の足の直進性さえ奪おうとする、、いや、それは緊張しているからか、、わからない。もう完全に舞い上がってコナカの紺スーツの脇の下はびっしょりだった。


 なんとかロビーで落ち着いて、時を待つ。事前に作ってある見積もりと契約書の書式を確認して、電卓と、朱肉と、車庫証明の用紙、たぶん持ち家だから自認書の用紙・・・とやっていると、買ったばかりのピッチ(PHS)が鳴る。


「ああ、前田さん?いまどこだい?」


 こっちの極度の緊張がピッチの電波に乗っかったのかもしれない、狭山さんはつとめて明るい印象で話しかけてくださった。こういうときにこういう意表をつく喋りで来られると、余計に緊張が増したりする、というか、増したんである。額に汗がドッと吹き出る。耳は真っ赤。


「ハ、ハハア!い、いま、、ロビーにおります!」


 と言ってしまった。かなりの舞い上がり方だ。モフモフの帝国ホテルの絨毯に革靴が沈む。心臓のパルス上昇、目は踊る。心のダッチロールは既に開始されていた。これはもうダメかもしれんね・・・そう思った。


「ああそうか!じゃあ●階の●号室ね、ルームサービスで冷たいもん頼んだから、ゆっくり話聞かせてくださいよ、ね!」


 どう考えたって向こうのペースである(笑)、というか、もう最初から。


 クルマの、ベンツの商談、というより自分の面接のような気持ちだったなあ。手に汗握って、というか身体中汗だくで、モフモフのジュウタンはどこまでも足をヨロケさせてくれて(笑)。もうどこに墜落してもいい、そういう心境だった。今でも汗が噴き出す。でもさ、だってまだ営業になって5ヶ月目だもの・・・(笑)


 心の中はダッチロール、酔っ払ってもいないのに汗だくの千鳥足で狭山さんの仕事部屋にたどり着いた。ノックをするとドアは開かれ、小柄で小太り、でも銀行マン特有の一目で他人を納得させるある種の迫力ある面持ちとポマードの匂いに、僕はこれから死刑台の部屋にでも立ち入るかのような思いでヘロヘロ、ペコペコしながら敷居を跨ぐのだった。


 しかし、テーブルに用意されていたのはなんと、コーラフロートと、メロンクリームソーダだった。テーブルの真ん中にはカルビーのポテトチップスが袋の真ん中から無造作に開かれて、「準備万端」だった。


「前田さん、たぶん若いと思ったからさ、こういうの、好きだろ?コーラ?メロンソーダ?どっちか選びなよ、な!」


 狭山さんはそう言って、銀行のバッジのついたブレザーをサッと脱ぎ捨て、腕まくりをして僕を席につかせてくれた。いやーーー、デキる人ってこうなんだよね。またも意表を突かれた。もう商談のための書類なんかをビシッとそろえて、総額700万円近くなろうかという「お取引」の話のための準備が整っているのかと思いきや、僕のこの舞い上がりを既に予測して、ポテチやコーラフロートが並べてある。やっぱりもう完全に狭山さんのペース、いや、というか、この心遣いこそが「一流だ」とおもった瞬間だった。凄い、と思った。


 なにせ、それでかなり僕の緊張、心のダッチロールは「アンコントロール!SOS!」状態を脱することができたから。少し緊張がほぐれたのが自分でもわかった。


 もう、こうなったらこっちのペースを取り戻して、いつものようにやるしかない、、というか、ポテチにコーラフロートの商談なんて、後にも先にもこの一回こっきりだった。


 狭山さんはさっきまで銀行の、それこそ大事な「お取引」の商談で大変だったことに始まり、遠からず昇進して役員クラスの地位に就く内示が出ていること、その頃はまだ空き地ばっかりだった豊洲にマンションを購入したことなどを嬉しそうに話してくれた。今乗っているのは平成3年式、当時9年落ちのウインダムのV6、3リッター車でグリーンの車体に本革内装、それは当時住んでいた甲州街道沿いにあるトヨタカローラの中古車店で238万円で買ったこと、それが自分で買った最初のクルマだったらしい。


 銀行マンて意外と堅実なんだなと思った。フツウなんだなと。ま、お金を扱う職業だからといってお金にまみれてはいるが、その分、お金の使い方を弁えている、まあ当たり前かもしれないが、そんな人物像が見て取れた。意外と僕らと感覚が近いのかもしれない、というふうにね。


「それがさあ、この歳で・・・」


 なかなか止まらない身の上話。さあ、次は何が来るか・・・と思うと。


「子ども、増えるんですよ。しかも双子!!」


 そのときお歳は伺わなかったが、40歳代半ばとお見受けする、白髪もちらほら生えているような方だったが、たしかに、今双子が生まれてくる、というのは、彼にとって予想外だったかもしれない。と、同時に、とても嬉しそうだった。先に書いたように、昇進もあり子宝にも恵まれ、じつは狭山さん、かなりの祝賀ムードということがわかった。


「こう見えて今まで苦労もあったからね、ベンツは自分へのご褒美みたいなものだよ」


 狭山さんはそういって、実印を取り出してしまった。まだクルマを見ていないし、そもそも、僕がテーブルのポテチの横に広げたのはまだご提案書段階の、いわゆる見積もりというものだ。


「いやいや、契約書はこれからお作りしますし、お車もぜひご覧になってくださいよ」


「なにいってるんだ、そんな必要はない。キミの店の商売ぶりは聞いてますよ。それに、キミを見ていれば、その必要はない、僕はそう直感してましたよ」


 銀行マンとして数々の折衝や商談、お金と信用に身を粉にしてこられたかたの含蓄ある、そして最高級の僕と僕らへの褒め言葉だった。


「いやぁ、なんと申し上げたらよいのか。今日もこちらに参ります時に、このようなホテルなどなかなか来ることはありませんから、ふかふかのジュウタンに足を取られたりしまして、冷や汗は止まりませんし、どうなることかと思っていましたが・・・」


 こちらも正直に話した。


「キミも正直なヤツだな(笑) コーラフロート、おかわりしようか!」


 それが運ばれてくるまでに正式な契約書を作ってよ、値引きなんかしなくていいからな!といって、狭山さんは一本仕事の電話をかけ始めた。「ああキミ、例の件その後の進捗はどうなっているかね?ん?」・・・その口調はやはり厳格で端的、じつに説得力に満ちたベテランの域に達しつつあるビジネスマンそのものだったが、この硬軟の使い分けが、狭山さんという人をのし上げたひとつの原動力なのかもしれない、そう思った。そう、人心をつかむ力に非常に長けた人なのである。


 ウインダムは下取り。クルマは見ていない。向こうがそうなら、こちらもそれで行く。こういう時に妙に肝が据わるのは、僕の勝負師としての資質かも知れない。そして、会社で僕からの連絡を待っている社長に下取り車の情報を伝えると、シャチョウも「この商談は決まる」と思ったらしい。即座に中間マージンを差し引かない、オークションの実売価格を契約書に載せるように指示してきた。ふつうなら、見てもいない下取り車、修繕のリスクなどを考えた値段に「買い叩く」ものだが、ここもウチのシャチョウの勝負師なところである。


 契約書はベンツ本体に諸費用で758万円になったが、先の下取り車を差し引きして、ジャスト700万円という金額でまとめさせていただいた。値引き欄には何も記載していない。


「これ、ちょっと安くないかい?」


「いいえ。弊社は薄利多売によりお客様のご信用を頂くことをモットーとしております。ご要望のとおり、値引き欄には何も記載しておりません」


「そうか、よし、わかった。」


 まるで、銀行の決済書に印を突くように押印。狭山さんはベンツを買ってくれた。


 運ばれてきたコーラフロートが乾いた喉に染み渡る。コーラに浮いたバニラアイスの香りがそこらのファミレスと同じではない。ここは名門、帝国ホテルなのである。


 狭山さんがベンツを見たのは納車の時が初めてである。豊洲のマンションまでお届けしたら、お腹の大きくなった奥様や小学生くらいの女のお子さん、上品な白髪のお母様まで出迎えてくださった。


 これからふたりの赤子の姉になるお嬢ちゃんは「私ここで後ろのクルマに手を振るの!」といって、後ろ向きのサードシートに乗ってはしゃいでいた。狭山さんはそれを見てニコニコして上機嫌だった。「●子のためにこのイスが付いてるのにしたんだぞ」。


 続いて奥様。「あなた、これ新車じゃない?大丈夫なの?」


 「いいんだ、もうそういうことは気にしなくてよくなるんだから」


 つまり、銀行でも一般職クラスでは乗るクルマに暗黙の制限があったようだ。上司のクルマを追い抜いてはいけない、でも、それなりのステータスは必要。しかし狭山さんはそうした縛りからも解き放たれた開放感を感じていたようだった。


 まさに、自分へのご褒美、という感じだった。


 クルマを商売にしているとこういうシーンに多々遭遇する。そして、そのほぼ100パーセントで、オーナーの幸せな顔を見ることができる。それは、そうではない商談も世の中にはあるのかもしれないが、僕にとってこうしたシーンが多かったと感じているのは、ひとつに扱っているクルマが中古車として素晴らしく、会社も真面目な取引で堅実に信頼を勝ち取っていたこと、そして、手前味噌だが、僕という営業マンがそれなりの素質をもっていたから、なのかもしれないと思う。仕事をしていて「お客様に(僕を)気に入っていただいている」という感覚、手応えはとてもあったもの。そうでなければ、こうした良いお客様との良い商談、出会いに恵まれることはなかったと、今になって思う。いい仕事をさせてもらったと、感謝している。


 そして僕にとっても納車時に初めて拝見する下取りのウインダムはまだ距離も浅く非常に美しい状態を保っている。すこしホッとした。したがってオークションで転売することなく、店で売ることにした。下取り車の状態が素晴らしいというのも、僕が入ったこの会社の取引上、きわめて特徴的なことだった。普通はそうはいかない。程度の悪い下取りをどうするか、と悩むことも多いのだが、この会社、店ではそういうことは殆どなかった。珍しいことだった。


 ウインダムは店頭販売します、そう狭山さんにご連絡し承諾をいただく。


「ああ、かまわんよ。キミたちの思うように取り扱ってください、、十分儲けなさいよ!」


 最後までさりげない気遣いを忘れない大手銀行役員、狭山さんなのであった。


 僕は狭山さんとお会いして、「サラリーマンもいいな」と、おそまきながら見直した。


 今でもあのときのコーラフロートの味が忘れられない。






2017.12.10
前田恵祐

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